人生が映画以上にドラマチックな人たち7選

世の中には、一般の人から想像もつかないような成功を手に入れる人々がいます。けれども、その人たちが経験してきた苦労もまた、想像を絶するものだったりするのです。

今回紹介するのは、「人生が映画よりもドラマチックな人たち」7選(海外俳優編)。…始まりますよ!

キアヌ・リーブス

「スピード」や「マトリックス」シリーズで押しも押されぬ大スターの地位を確立したキアヌ・リーブス。最近では「ジョン・ウィック」シリーズなどでその人気が再燃しています。アジア(中国)の血が少し混じった、シュッとした顔立ちは日本人から見ても馴染みやすく、日本の人々からも高い人気を誇っていますよね。

しかしそんなキアヌの人生が、悲劇に次ぐ悲劇に見舞われてきたことは、知っている方も多いのではないでしょうか。3歳の頃、父親が家族を捨てて蒸発。母親と一緒に各地を転々とする日々がスタートします。さらにそんな苦労を共にしていた最愛の妹、キムが10代の頃に白血病を発症。まだ若かったキアヌですが、看病を全て引き受け、献身的に妹を支えました。

(そんな経緯があってか、マトリックスの映画から得た収入の70%は、白血病患者を扱う病院に寄付したと言われています。)

さらに青年期の一番の親友だった俳優仲間のリヴァー・フェニックスが、23歳の時麻薬のオーバードースで亡くなってしまいます。ショックがまだ後を引く中、キアヌの恋人だったジェニファーが女の子を宿しますが、結局死産と言う悲劇的な結末に。その1年半後、まるでジェニファーも後を追うかのように、交通事故で天国へ旅立ってしまいました。キアヌはそれ以来、真剣に人を愛することが怖くなってしまったと言います。

そんな悲劇を乗り越え続け、キアヌはどんな時でも俳優活動は継続し続けました。キャリアの浮き沈みこそあれど、これほど長い間にわたって映画界で存在感を出し続けられる俳優はそう多くありません。

悲しみを乗り越え続けたからか、とても謙虚で誠実な人柄であると言われているキアヌ。その口から語られる言葉には深い説得力があります。こちらの記事では、そんなキアヌの名言をお読みいただけます。

 

シルベスター・スタローン

「ロッキー」や「ランボー」シリーズであまりにも有名なアクションスター、スタローンですが、実は生まれながらに、産科医によってハンディを背負わされていたと知っていましたか?

スタローンが生まれたのは、1946年、ニューヨークでもっとも治安の悪い地区でした。お産の際、医者が誤って顔を傷つけたため、顔面には麻痺が残りました。さらに、あまりにも強烈なシチリア系の顔だったため、役者を目指したもののなかなか仕事にありつくことができませんでした。

結局、日銭を稼ぐためにはじめた仕事は…ポルノ俳優!(イタリアの種馬と呼ばれていました。)さらに言えばそれでも生活費が足りず、空いた時間はボディガードなどをして稼がなければなりませんでした。まさにアメリカの底辺と呼ぶべき暮らしぶりだったのです。

しかしある日、テレビであるものを見たことがきっかけで、スタローンは世界的なスターにのしあがることとなるのです。成功までの道筋は…こちらの記事もぜひお読みください。

 

マーク・ウォールバーグ

今やハリウッドで最も稼ぐ俳優のひとりであるマーク・ウォールバーグが、札付きのワルだったことは映画ファンの間ではよく知られています。

マサチューセッツ、ボストンの貧しい家庭の、9人兄弟の末っ子として生まれたマーク。(ボストン自体は、学術的な良い地域なのですが…)11歳の時に両親が離婚したことがきっかけで、生活は荒み始めます。高校中退後、レンガ職人などの仕事につくも、気性が荒く、ケンカ三昧の日々を過ごしていました。

そして最悪な事件を起こします。16歳の時、コンビニエンスストアから酒類を盗もうとした際、ベトナム系の2人を暴行。一人が片目を失明する事態にまで発展してしまいます。その結果マークは逮捕され、懲役2年と45日の服役を命じられるのです。

事件を起こしたことで、今までの人生を後悔したマーク。その後は深くキリスト教にのめり込み、そのあふれるばかりのエネルギーを、真面目に俳優業へ注ぎ込むようになりました。その結果、ハリウッドでAクラスのキャリアを築くにいたったのです。

(長い年月が経ったのち、片目を失明したベトナム系の人物が、「実は失明したのはマークの暴行が原因ではなく、もともとだった」と告白しています)

 

ホアキン・フェニックス

「ジョーカー」でアカデミー賞を獲得したことが記憶に新しいホアキンですが、彼の人生こそまさに映画よりも奇なり、と呼ぶことができるでしょう。

幼い頃、ヒッピー気味の両親に連れられて入信したのは、宗教団体「神の子供たち」。セックスカルトとして悪名高いその教団の教えのもと、一家は小さなコミュニティの中でセックス漬けの生活を送っていたそうです。

しかし新たな生活を夢見た両親は、今度は家族をハリウッドへ連れて行きます。そこで兄であるリヴァー・フェニックス(そう、前述のキアヌの親友の、リヴァーです)と共に子役としての活動をスタート。しかし実際は、生活能力のない両親の代わりに稼がされているような状況だったに違いありません。

子役としてそこそこの成功を収めていたものの、ある日悲劇が襲います。兄リヴァーが、ジョニー・デップの経営するナイトクラブの前で、麻薬のオーバードーズで息を引き取ったのです。悲しみに打ちひしがれるホアキンに追い討ちをかけたのは、パパラッチからの心ない攻撃でした。

ホアキンが成功に至るまでの道筋は、こちらの記事からお読みいただけます。

 

レディー・ガガ

シンガーとして世界中を席巻したかと思ったら、最近は女優としての活動も目立つ、あまりにも才能に恵まれた女性、レディー・ガガ。

けれども、幼少期はなんと「バイキン」と呼ばれるほど激しいイジメにあっていました。

子供の頃からエキセントリックだったことが原因で、学校では浮いてしまっていたのです。そんな彼女の心の拠り所は、幼い頃から習っていたピアノと歌でした。

成功までの道筋は…以下の動画をご覧ください。

 

アダム・ドライバー

アート系から、「スター・ウォーズ」などのメインストリーム系まで見事に演じ切るアダムの存在をこっそりと意識していた方は多いのではないでしょうか?演技派でもあり、イケメンでもあるアダムの青年期もまた、けっこう大変なものでした。

1983年サンディエゴ生まれ。最も多感な18歳の時に、アメリカ同時多発テロ「9.11」が発生。ニュースに釘付けになったアダムを襲ったのは、強烈な怒り、理不尽、無力感、そして愛国心だったと言います。いてもたってもいられなくなったアダムはアメリカ海兵隊に自ら志願。厳しいしごきのような訓練に耐えたと言います。

けれども、アダムは戦地に派遣されることはありませんでした。マウンテンバイクに乗っていて事故を起こし、その怪我が原因となり結局退役することになるのです。

退役後は名門・ジュリアード音楽院に再入学し、そこで演技をみっちりと学びます。軍隊とアートの世界、あまりにもかけ離れた世界への適応に苦労したものの、そのアブない二面性がアダムの魅力そのものへと変化していきます。次第にアート系の監督から演技を見出されるようになり、今に至るのです。

「軍隊と比べれば、演技はさほど難しくない」…アダムの言葉です。

 

ロバート・ダウニー・Jr

「アイアンマン」を演じたことであまりにも有名なロバート・ダウニー・Jr。

両親とも芸能関係というサラブレッド家系生まれですが、俳優としての才能だけではなく…かなりヤバいものもまた同時に親から受け継いでしまったようです。

ある日、退屈しているロバート・ダウニー・Jr(8歳)に父親であるロバート・ダウニー・シニアが勧めたのは…なんとマリファナ!何も知らないいたいけなロバート・ダウニー・Jrは、知らず知らずのうちに麻薬中毒者になってしまうのです。

さらに11歳の頃、追い討ちをかけるように両親が離婚。その悲しみから逃れるために、麻薬への依存はさらに加速していってしまいます。

しかし、このワルい父親が息子に勧めたのは、もちろん麻薬だけではありません。演じるということに導いてくれたのもまた、映画監督をしていた父親だったのです。

ロバート・ダウニー・Jrは父が制作する映画に5歳の頃から出演しており、演技をすることが彼の生き甲斐でした。前述の経緯もあり、子供の頃からたびたび麻薬トラブルに悩まされ続けたものの、最終的には俳優としての道を切り開き、「アイアンマン」という大役を見事に演じ切ったのです。

(父親であるロバート・ダウニー・シニアと)

 

いかがでしたか?

いやはや…成功を掴み取った人たちの、アップダウンの激しさも超ド級だということが分かります。しかし共通して言えることは、誰もが苦境に面したときもあきらめずに、努力を続けたということではないでしょうか。

以下の記事では、同じように苦境を乗り越えた人々のエピソードをお読みいただけます。

 

 
 
 
プレビュー画像:  / © YouTube/映画友達エトモ
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