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【前編】自由を求めた親にセックスカルトに入れられた幼い兄弟 17年後の2人の運命に心が震え動いた

1993年のハロウィンの夜、リヴァー・フェニックスは死にました。そのニュースは、瞬く間にアメリカ中に、そして日本にまで響き渡りました。

死因は、薬物の過剰摂取。遺体からは、致死量の8倍のコカインと4倍のヘロインとマリファナ、バリウム、エフェドリンなどの薬物が検出されています。将来が期待されていた若手ハリウッドスターは、こうしてたった23年の短い生涯を終えたのです。死にゆく彼の脇には、弟のリーフ(後のホアキン・フェニックス)と、妹のサマーの姿もありました。

リヴァーがアメリカ中の注目を集めたのは、映画「スタンド・バイ・ミー」(1986)に出演したことがきっかけでした。主人公ゴーディの最良の理解者であり、繊細さと逞しさを併せ持つクリス・チェンバーズ役を演じたことで、大ブレイクを果たしたのです。

しかしそもそも、なぜリヴァーは映画に出演することになったのか…?両親に、生活能力がまったくなかったためです。両親はリヴァーを生んだとき、農場などで日銭を稼ぎながら各地のバラック小屋を転々とする堕落したヒッピー生活を送っていました。

挙げ句の果てに、ある日神からの啓示を受けたと言い、宗教団体「神の子供たち」に入信。セックスカルトとして悪名高いその教団の教えのもと、一家は小さなコミュニティの中でセックス漬けの非常にタフな生活を送っていたのです。嘘かまことか、リヴァーは4歳で童貞を失ったと述懐しています。リヴァーには、4人の幼い弟や妹がいましたが、全員がりんご収穫などの肉体労働に従事せざるをえませんでした。

しかしその後、教団内での立場が危うくなった両親はコミュニティを去り、次に目指したのはハリウッドでした。まったく新しい生活を夢見て、苗字を「フェニックス」(不死鳥)にあらためたのです。そこで両親は、ヒッピー文化を発信すると同時に、子供たちを映画スタジオに売り込みました。エージェントいわく、「見たことがないほど美しい子供だった」リヴァーは、すぐに業界関係者の目に留まり、CMなどに出演するようになると、両親は今まで見たこともないような額のお金を手にすることができたのです。こうしてリヴァーのおかげで、一家は初めての車を買うことができました。

今まで属していた所とはあまりにもかけ離れた世界。リヴァーは演技の魅力にどんどん引き込まれていきました。弟のリーフは、こう述懐します。

「ある日リヴァーが、『レイジング・ブル』(80)のテープを持って、仕事から帰ってきた。私にその映画を観せると、翌朝寝ている僕を叩き起こして、さらにもう一回観せてきた。そして、『起きろリーフ、お前は演技をやるんだ。これがお前のやることなんだよ』って言ったことをよく覚えているよ」

今まで属していた所よりも、もっとずっと素晴らしい世界がある。兄は、弟にそう伝えたかったのかもしれません。

演技に目覚めた理想高きリヴァーでしたが、その心は徐々にハリウッドに引き裂かれていくことになります。本人は、真の俳優になりたいと望んでいたにもかかわらず、華やかな容姿のためにアイドル的な役ばかりが回ってきてしまい、近寄ってくる人たちもリヴァーの名声の分け前を欲しているかのような汚い大人たちばかりでした。ハリウッドから搾取される商品としての自分と高い理想の狭間でもがき苦しみ、徐々に精神を病んでいってしまったのです。

元来真面目な性格で、酒もタバコもやらず、また特殊な経歴が原因でセックスに不信感を持っていたリヴァー。それが災いしてか、強烈なストレスのはけ口は薬物の他なかったのです。

こうして、事件は起きました。俳優のジョニー・デップが共同経営していたナイトクラブ、ザ・ヴァイパー・ルームの外で突如として倒れ、そのまま帰らぬ人となります。

残された家族は、悲しみに打ちひしがれました。また、事実上の大黒柱だったリヴァーを失ったことで、家族は将来の不安も抱えることになります。さらに追い討ちをかけるように、ゴシップに目がないパパラッチからの心ない攻撃を受け、コスタリカにある農場へ一家揃って引きこもる生活が始まったのです。その牧場も、生前のリヴァーが家族を想って購入していたものでした。

家族の中でもっとも心に深い傷を負ったのは、リヴァーと一番近しかった、あの夜救急車を呼んだ張本人である弟のリーフでした。

その後リーフが辿った運命は、後編記事でお読みいただけます。

プレビュー画像: / © Twitter/ phoenixsgallery

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