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【忘れられた日本人】39年前、日本史上最高額の寄付を集めたのは67歳の女性だった。彼女が集めた1億2千万の使い道に涙する。

 2017年、日本に辿り着いた難民認定を求める人々の数は19,628人で過去最多を記録。それでも「難民」というと日本人には関わりのない言葉に聞こえますが、今から約40年前、1970年代後半から80年代にかけて、日本の海岸には毎年1000人単位でボートに乗った人々が流れ着いていました。

1975年ベトナム戦争がついに集結し、ベトナム、ラオス、カンボジアが社会主義体制に移行すると、経済活動が制限されたり迫害を受ける恐れがあるなどの理由から、タイ、アメリカ、オーストラリア、カナダ、そして日本などの国々に約144万人が逃れました。日本に逃れて来た人々の多くは、小型船などに乗って着の身着のまま逃げて来た人が多く、ボート・ピープルと呼ばれていました。

日本政府はボート・ピープルとして日本に流れ着いた人々を一時的な滞在は認めていましたが、保護などは一切しない立場でした。日本に流れ着いた小型船は燃料が切れ、食料も水も切れ、命からがら上陸した人々を保護したのは、民間団体でした。最初のボート・ピープルが上陸してから、日本各地の民間団体が施設を住居として提供したり、既存の施設を借りて受け入れ施設の運営を行ったりしましたが、その運営は容易なものではありませんでした。

 

 

 

日本は1978年ようやくベトナム、ラオス、カンボジアから逃れて来た人々を初めて「難民」として受け入れ始めます。