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栄養失調と感染症で命尽きようとしていた赤ん坊は 22年後 五輪の飛び込み台に立った

米国フロリダに住む元海軍士官のジェリー・ウィンドルは、長い間、父親になりたいと夢見てきました。しかし、かつて友人から「おまえは父親にはなれないよ」と言われたことを今も覚えています。

「長い間、偏見から、同性愛者が子どもを育てることなど考えられないと多くの人が思っていました。親しい友人にさえ、父親にはなれないと言われました」

しかし、その予言は外れ、彼は2021年夏の東京オリンピックで息子に声援を送っていました。

20数年前、独身で同性愛者であったジェリーは、運命に導かれるように、ある雑誌の記事を見つけました。「雑誌をめくると、カンボジアの孤児を養子に迎えた男性の記事が載っていたんです」

彼は緊張しながら電話を取り、その国際養子縁組機関に電話をかけました。記事に載っていた男性が、シングルファザーで養子縁組ができたのであれば、自分にも可能なのではないか?と考えたのです。答えは「イエス」でした。彼は胸を高鳴らせて、その機関に登録します。登録に際して、ジェリーが親としての条件を満たしているかどうかが念入りにチェックされました。そして数ヵ月後、待ち望んでいた電話がかかってきました。

 
 
 
 
 
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「プノンペンの1歳の男の子を養子にしませんか」という申し出でした。「私の置かれている環境や性格まで考えて、この子がぴったりだと言われたのです。彼の写真を見て、すぐに好きになりました」とジェリー。

2000年6月、彼はカンボジアに飛びます。2歳になるその子は、両親を亡くして以来、プノンペンの孤児院で暮らしていました。「初めてこの子を見たときは、胸から喉までが心臓になったようにドキドキしました」とジェリーは振り返ります。

当時、その男の子は栄養失調と感染症で、命の危険にさらされていました。「この子に二度と苦しい思いをさせないためにできる限りのことをしよう。そして、父親として、どれだけの犠牲を払ってでも、この子の人生にできるだけ多くの扉を開いてあげたい、そう思いました」

そして、彼はそれを実行しました。ジェリーは、その子を「ジョーダン」と名付け、愛情を持って根気よく世話しました。ジョーダンはやがて回復し、強くたくましく成長していきます。そして、才能が花開きます。小さい頃から水泳に熱中していたジョーダンは、7歳で飛び込みを始め、2年後にジュニアの全米チャンピオンに。

そして今年、22歳で米国史上最年少の飛込選手としてオリンピック出場権を得たのです。

 
 
 
 
 
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飛び込みをする理由を聞かれると、ジョーダンは「父のため」と答えます。

「父が多くの犠牲を払ってくれたおかげで、父の愛とサポートのおかげで、僕は多くのことを成し遂げることができました」と父親への感謝をいつも忘れません。「今の僕があるのは、すべて父のおかげなんです。父とは信じられないような時間を過ごしてきたけど、嬉しいことに、その時間はまだ終わってはいません」

ジョーダンは東京オリンピックでは9位とメダルは逃しましたが、愛情深い父親と二人三脚ですでに次のゴールに向かっていることでしょう。色々な形の家族がいることが世界をもっと豊かにすることを教えてくれるジェリーとジョーダン親子に、これからも声援を送りたいと思います。

プレビュー画像: ©Facebook/Jerry Windle