ちえとくをフォローする

ネットで話題

地下鉄で新生児を見つけた男性は警察に届け出た  しかしこれが予想外の展開を引き起こすことになる

今から20年以上前のニューヨーク、2000年8月26日の午後8時ごろ、ダニー・スチュワートは地下鉄に乗り、夕食の約束をした恋人のピート・マーキュリオのところへ急いでいるところでした。

Avenue A Entrance

地下鉄の駅を慌てて出ようとした時、ふとダニーの目に入ってきたのは、通路の端に置かれた赤ちゃんの人形。何か違和感を感じながらも、約束の時間に遅れ急いでいたダニー。しかし、振り返った時にわずかにその足が動いたことに気がつき、人形ではなく本物の赤ちゃんだと確信したのです。急いで戻り確認すると、小さな人形のような男の子の赤ちゃんがトレーナーに包まれて床に置き去りにされていました。赤ちゃんはへその緒の一部が残された状態で、他には一切何も身につけていませんでした。

NEW BORN

思いもよらない事態に遭遇したダニーは、バクバクと音を立てる心臓を抑えながら、駅の外にある公衆電話に急ぎ警察に通報。当時は携帯電話もまだそれほど普及していない時でした。その後、赤ちゃんを駅で見つけたなんて突飛な通報を信じてもらえないかもしれないと不安を覚えたダニーは、再び公衆電話に走り恋人のピートに連絡し、警察に同様の通報を入れてもらうよう依頼。ダニーの連絡を受け慌てた様子のピートが地下鉄の駅に到着した時には、赤ちゃんは警察により保護され病院へ運ばれるところでした。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

発見当時の状況を説明し、その場を離れた2人。しかしピートはダニーにこう話したと言います。

「きっとことの先あの赤ちゃんと一生何らかの形で関わることになるかもね」

この発言の主旨を理解できなかったダニーに、ピートは赤ちゃんが大きくなったら発見してくれた人を探し出そうと連絡してくるかもしれない、と付け加えたそうです。軽い気持ちで未来を予想したピートでしたが、これから2人に起こる展開は想像を遥かに超えるものでした。

◾️ 戻ったはずの日常が一変

翌日のニュースは、ほとんどが赤ちゃん発見の一報で持ち切りだったと言います。しかし、ダニーとピートの2人が気がかりだったのは保護された赤ちゃんが元気かどうか。2人は赤ちゃんが運ばれた病院へも出向きましたが、何一つとして知る事ができませんでした。

そんな中、いつしか2人はいつもの日常に戻っていきます。しかし数ヶ月後の12月初旬、ダニーの姿はニューヨークの家庭裁判所にありました。というのも、赤ちゃんの第一発見者として児童福祉局から発見当時の状況を審理で証言してほしいと依頼を受けていたのでした。

Courtroom

証言だけでなく、審理の最後まで同席してほしいと言われてその場に残っていたダニー。裁判官の女性は彼に、現在の状況や赤ちゃんの正式な養子先決定までの一時預け先をなるべく見つけたいと説明をしました。その説明にうなずくダニーでしたが、次の瞬間裁判官から出てきた言葉は予想だにしないものでした。

「赤ちゃんを養子にしませんか?」

そこにいた全員の注目を一身に集めたダニーは、動揺する気持ちを抑え、預かる事が容易ではないこと、養子縁組には時間もかかることなど事実を伝えました。しかし次に彼の口から出たのは、「ノー」ではありませんでした。

「養子ということは考えもしませんでした。でも、同時に…自分がこの赤ちゃんとつながっているような気がして仕方なかったんです。このことは偶然ではなくて、贈り物なんじゃないかなって。だからどうしたってノーだなんて言えません」

◾️ ピートは大反対

裁判所を出たダニーは一連の事の流れをピートに連絡。しかし、ピートの直感はダニーのそれとは全く違い、彼はすぐさま発言を取り消すために裁判官の元に戻るようダニーに伝えたのでした。審理から1週間、2人は白熱した議論を重ねたと言います。資金面、アパートの広さなど、現実的な問題を挙げたピートに、ダニーは3人で家族になりたいと主張、もし無理ならシングルとして育てるとまで。それに対しピートも煽るように、ニューヨークでせいぜいシングルファーザーとして頑張ればいい、と。互いに譲らない議論に、2人は別れる寸前だったと言います。

そんな中、ダニーはピートを説得し赤ちゃんの一時預かり先を訪ねることにしたのです…。

◾️ 赤ちゃんに会いに預かり先に出向いた2人

お互い主張を譲らないまま赤ちゃんを訪ねた2人でしたが、すぐさま赤ちゃんの置かれている現状を理解しました。痛々しいおむつかぶれで、お腹から背中、お尻、太腿にかけて炎症を起こしていた赤ちゃん。劣悪な環境に置かれてることが、2人には一目瞭然だったのです。

そんな中、ピートはダニーに続いて赤ちゃんを抱っこした時、彼はこれまでにない温もりを感じたと言います。

Holding Daddy

「私を見つめ小さな手でギュッと指を握ってくれた時、まるで赤ちゃんは私の指にある心のボタンを見つけたかのようでした。閉ざされていた心が開いて、私でも父親になれると教えてくれたかのような瞬間でした」

◾️ 赤ちゃんを養子に迎えることを決意

それからと言うもの、物事は2人が思っていたよりもものすごい速さで進んだと言います。当初、養子縁組には家庭訪問や身元調査など多くのプロセスがあり、正式に赤ちゃんを迎え入れるまで数ヶ月かかると言われていた2人。さらにダニーが証言をした審理の数週間後のクリスマス直前、2人は裁判所で正式に養子縁組の意思を表明しなくてはいけませんでした。

その時の裁判官は、前回の審理の時と同じ女性でした。彼女はカレンダーに目を通しながらクリスマス休暇が近いことを言及。なんと、正式な養子縁組手続きは同時進行することにして、一時的としつつもクリスマス前には赤ちゃんを2人に引き渡すよう指示をし始めたのです。

この異例のスピードに2人は慌てながらも、赤ちゃんを迎える準備をしたと言います。ピートは事前に養子縁組を家族に報告、ピートの家族は若い2人の新米パパのサポートを喜んで買って出てくれました。

そうして迎えた男の子の赤ちゃんは「ケビン」と名付けられ、ダニーとピートの元にやってきたのです。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

2人が男児にケビンと名付けたのには理由がありました。ピートの母親は彼を産む前に男の子の赤ちゃんを死産、その赤ちゃんを彼女はケビンと名付けていたのです。この出来事にピートの母親は涙を流し喜んだそうです。

それから正式な養子縁組の手続きが完了したのが、2002年の12月。2001年のニューヨーク同時多発テロの影響もあり、手続きは遅れたもののケビンは正式に2人の息子となったのです。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

◾️ 家族となっていく3人

こうして息子となったケビンの子育てに奮闘する中、ダニーはケビン発見当時の新聞記事を切り張りして作った絵本を作り、ケビンに読み聞かせていたそうです。この絵本はケビンの大のお気に入りで、自分のことだと理解した年には学校でも友達に見せて誇らしくしていたそうです。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

2人の父親の愛情の元で真っ直ぐ育っていったケビン。自分のルーツについて興味を抱くこともあったそうですが、深く追求することはなかったと言います。そしてケビンが10歳になった時、今度はダニーとピート2人の関係に変化が訪れます。2011年、ニューヨークではアメリカで6番目に同性婚が合法化されることに。これまでほぼ事実婚状態だった2人ですが、これで晴れて正式に夫婦となることができるようになったのです。正式に結婚することを考え始めた2人の背中を押してくれたのは、何よりもそのことを大喜びしてくれたケビンでした。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

そこで2人はニューヨークの家庭裁判所に連絡。当時ケビンとの養子縁組を取り計らってくれた裁判官に2人の結婚式を執り行ってくれるか尋ねたそうです。答えはもちろん「イエス」でした。

New York County Family Court - Entrance

◾️ 裁判官が明かした10年目の事実

当時の裁判官との再会時、2人は彼女から思いがけない真実を聞かされることになります。それは当時彼女が、子供の養子縁組において試験的に短期間で仮の里親に預けるプロジェクトを指揮していたこと、特に赤ん坊などの新生児には特別な繋がりを持つ人物が預け先にふさわしいと考えていたことを明かしたのです。ダニーを見た時、彼女は直感で彼と赤ん坊との繋がりを感じたそうです。そして10年後、結婚式で彼ら3人を見た時彼女は自分の直感が間違っていなかたっと再確認したとも。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

ダニーはこの事実を知った瞬間、感動と喜びで胸がいっぱいになったと言います。

「3人を家族にしてくれた彼女が、今度は僕たちを夫婦にしてくれた、全てはつながっていたみたいだよ」

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

◾️ 家族の20年
21年前の夏、地下鉄で発見された小さなケビンは、今や身長180cmを超える大きく立派な男性に成長しました。その身長は2人の父親をすっかり超える大きさに。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

大学では数学とコンピューターサイエンスを勉強しているそうです。優しく穏やかで、礼儀正しく育ったケビンは2人の誇りです。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Danny Stewart (@dlstewart1965)

ダニーが裁判所でケビンを養子に迎えたいと言った時に言った「贈り物」という言葉は、まさに現実でした。ダニーはこれまでの20年をこう振り返ります。

「ケビンを息子として迎えていない人生は想像できません。家族の存在は人生を豊かにして充実したものにしてくれました。あの日の出来事が、私の世界を変えてくれたのです」

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Danny Stewart (@dlstewart1965)

一方のピートは、今では父親でない自分を想像するのが難しいと言うほど。その深い愛情はケビンが運んでくれたと言っています。

「ケビンが来るまで、世界にはこんなにも深い愛が存在するって知らなかったよ」

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

ダニーがケビンを見つけた21年前のあの日、彼は当時ピートのアパートから、たまたま自宅へ郵便物を受け取りに戻ったそうです。ダニーがあの日自宅に戻らなかったら、彼らは出会うことはなかったのです。もしかしたらケビンは、命を落としていたかもしれません。ケビンとの出会い、裁判官との出会い、奇跡とも言える出会いによって家族となった3人は、深い愛情と絆で結ばれています。彼らの幸せに満ちた笑顔が、何よりもこの20年が幸せだった証拠です。これからもこの家族が幸せでありますように。

なお、ピートはケビンとのストーリーを絵本にして出版しています。奇跡の連続がもたらした感動の家族のストーリー「Our Subway Baby」、英語版ですが気になる方はこちらから。

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by Pete Mercurio (@petemercurionyc)

プレビュー画像:©︎Instagram/petemercurionyc

地下鉄で新生児を見つけた男性は警察に届け出た  しかしこれが予想外の展開を引き起こすことになる