考えさせられる
「スポーツ嫌いは悪いことなの?」高校生の新聞投書がど正論だと話題
学校教育における体育の授業は、生徒一人ひとりがスポーツに親しみ、体を鍛え、その後の人生を実りあるものにするために行われる、とても有益な授業です。
しかし一方で、あまり運動神経に自信がない人、もしくは運動自体は好きでもチームスポーツがあまり好きではない人などにとっては、体育の時間は恐怖の時間に他なりません。なぜなら、えてして体育の授業では、好きでもないスポーツを無理やりやらされ、チームを組み試合をさせられ、うまくプレーできないとクラスの笑い物になってしまったりするからです。読者のみなさんの中にも、体育の授業が苦痛で仕方なかったという人もいるのではないでしょうか。
そんな現状を憂いてか、スポーツが嫌いな中学生を現在の16%から8%に半減させようという取り組みが、スポーツ庁から発表されました。しかしそれに対して、ある高校生(今は大学生)が新聞に投書した意見がど正論であると、今大きな話題を呼んでいます。
実際にそのツイートをご覧ください。
高校生が教育の真髄を語っている。ど正論。 pic.twitter.com/zGoGxk2IhP
— 知的巨人(公式) (@ok_1teacher) January 8, 2022
「私はこの計画を聞いて、スポーツは嫌いでいてはいけない、と国から言われているように感じた」…高校生は投書の中でそう嘆きます。
この高校生は個人の体験として、高校時代の球技大会をきっかけにして、体育が大好きになったそうです。しかしそれはあくまでも、この高校生自身が、自分の体力や運動能力の変化に気づき、成長を感じたことが原因でした。
その感情は誰かに強制されたものではなく、そもそも「好き」とか「嫌い」という感情を制限、操作するというのはおかしいのではないだろうか?
そう言ってこの高校生は、スポーツ庁の掲げる「スポーツ嫌いを減らす」という政策に疑問を投げかけたのです。
このあまりのど正論に、Twitter上では共感する声が続出。多くの人からコメントが寄せられています。
Twitterの人々の声
体育の授業がなければ、ああまでスポーツ嫌いにはならなかったかと。体力も運動能力も恐怖心の強さも、興味自体も全く違うのに、同じ年齢だというだけで一まとめにされて受ける授業は苦痛でした。勝ちたいという欲望も希薄でしたので、それが当然の前提となる試合形式のものもシュールに思えましたし。
— kei🧷🧹 (@morikei317) January 8, 2022
正論。私はマラソンや剣道など嫌な競技はよく休んでました。これまで生きてきて何の支障もありません。部活みたいに好きな競技を選べるといいのですが。
— ryokawa (@Lyk5gThyYHwLXME) January 8, 2022
スポーツがやたら奨励される原因はやはり
— せたかみずき (@SETAKA_Mizuki) January 9, 2022
いまだに多くの人が
「健全な精神は健全な肉体に宿る」を
”信仰”してるからでしょうか.
この言葉が曲解されて「肉体が健全でないもの,
すなわちスポーツをやらない人は精神が健全でない」
と解釈してる人がいまだに多いのが恐ろしく感じます
個の尊重という観点では間違いなくそうだと思います。ただ体育をどうせやらねばならないのなら教育者として「今日体育あるのかぁ学校行きたくないわ」という生徒を減らす努力はしてほしいと思います。表現方法が難しいと感じます。例えばテストを全員の前で1人ずつさせて晒し者にするのはやめて欲しい
— ゆきみち (@nikomama5) January 8, 2022
体育の評価がずっと5段階の1だった私にとって、体育は ただただ苦行でした。苦手なモノを人前でやらされ、チームプレーでは、厄介者にされる。
— 丸山 明子 (@zuhgLaP26Ob3QFG) January 9, 2022
どうして好きになる必要があるのか?分かりません。むしろ選択授業にしてほしかったです。
いかがでしたか?
そもそもスポーツは、個人個人が楽しむことを目的として生まれたもの。しかしそれで楽しむことを強要されるというのは、スポーツの本質からいくぶんずれてしまっているのかもしれません。
みなさんはどう思いましたか?
プレビュー画像: ©Twitter/ok_1teacher
