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家族

【白い花のように見えたもの、それは…】終戦2ヶ月前の下校中、少女たちはあまりにも悲しい光景を目の当たりにして泣いた

日常のささやかな幸せを、一瞬で奪い去るもの。それは戦争です。

2015年12月20日付け朝日新聞「声」に掲載された投稿文がTwitterで話題を集めています。

投稿者のdousin(@maruhachi8181)さんがスマホ内の写真の整理をしていると、一枚の画像記事が目に入りました。

赤ちゃんは空を向いていた

45年6月ごろ、朝からの空襲が終わり、友人と2人、学校からの帰り道。大阪市中心部を歩いていたら、市電の通る市電の通る電車道の真ん中に人が倒れていました。その人を包むように、白い小さな花が咲いているように見えました。

近づくと赤ちゃんを抱いたお母さんでした。おそらく後ろから米機に狙い撃ちにされたのでしょう。しっかりと赤ちゃんを抱いて亡くなっていました。白い花に見えたのは、地面に散らばったポン菓子でした。甘いもののない時代、1歳ぐらいの赤ちゃんのおやつだったのでしょうか。

うつぶせに倒れたお母さんの肩越しに、赤ちゃんの顔だけが見えました。まん丸い可愛い顔をして空を向き、まるですやすやと眠るように亡くなっていました。

度重なる激しい空爆でたくさんの死者を見てきましたが、泣けませんでした。死者の姿は、明日は自分の姿かもしれないと思っていたからです。でもこの時だけは友人と2人で声を上げて泣きました。そして戦争を恨み、憎みました。

 twitter.com/dousin@maruhachi8181より抜粋

Delicate Touch

うつ伏せに倒れたお母さんにしっかりと抱かれたまま、空を向いて眠るように亡くなっていた赤ちゃん。その周囲には、赤ちゃんのおやつと思われるポン菓子が、小さな白い花のように散らばっていました。

敗戦の色が濃くなり、食べるものにも事欠く戦時中、甘いものを口にすることもできなかった当時、お母さんは赤ちゃんにも食べやすいおやつとしてポン菓子を与えていたのでしょう。

厳しい戦時下で、赤ちゃんがポン菓子を食べるひとときは母子の日常のささやかな幸せの象徴だったのかもしれません。

しかし、そのささやかな幸せも戦争によって一瞬にして奪われました。

Daisies

この投書を書いた女性(2015年12月当時83歳)は当時12歳か13歳。空爆が激しさを増し、空襲による死者の姿は見慣れたものとなり、「明日は我が身」と泣くこともできない状態でしたが、この母子の姿には声を上げて泣かずにはいられませんでした。

戦争がいかに無情に市民の「ごく普通の幸せな暮らし」を奪うのかが伝わるこの投稿には、多くの反響が寄せられました。

戦争で犠牲となるのは、指導層ではなく、一般の市民です。戦争がいかに悲劇をもたらし、私たちの「ごく当たり前の日常」を奪うのか、現在ウクライナで起きていることとあわせて、改めて考えさせられる投稿です。

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プレビュー画像: ©️ twitter.com/dousin@maruhachi8181