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15才の少年の友人たちが彼に唾液を買った。3年後、誰も後悔していない。

ブランドン・バルドーザはコスタリカ出身に住む15才の少年です。夢は早く高校を卒業してギターを習うことと、父親と一緒に旅行をすることでした。

ブランドンが激しい頭痛に悩まされるようになったのは、2013年12月頃でした。そのとき、すぐに医者の診察を受けましたが偏頭痛と診断されます。その後、頭痛に加えのどの痛みを訴えだしたブランドンを心配した父親は、再び息子を病院を訪れました。しかしその時もリンパ腺がはれているだけだと言われ、検査も無しで家に帰されてしまったのです。

しかし、ブランドンの頭痛は止まず、ひどくなる一方でした。息子がどんどんやせ細っていくのを見て心配した父親は、別の医者にセカンドオピニオンを求めます。衝撃の診断結果が告げられました。ブランドンの咽に原発性の癌が見つかったのです。エリックは信じられませんでした。息子は小さい頃から時々風邪を引くくらいで、大きな病気は一度もしたことがなかったからです。

発見時すでに大きく成長していた咽の腫瘍は顎を圧迫し、ブランドンの口には細いストローしか通らなくなっていました。

手術で咽から腫瘍が取り除かれたとき、ブランドンの体重は28kgまで落ちていました。その後35回にも渡る放射線治療が続けられましたが、ブランドンがあまりにも衰弱していたため、治療を続けるのが危険だと告げられます。放射線治療を再開するためには体力をつける必要があり、ブランドンの体には栄養補給のためのカテーテルが挿入され、1年後、ブランドンの体重が33kgまで増えたところで治療が再開されました。

「30kg前後の体になってしまった息子を見るのが一番辛かった。あんなにやせ細ってしまって。でも、本人は変わらず自信にあふれていた。そう見せていたのかもしれない。1月にはビーチに行って、そこでシャツを脱いだときも緊張している様子は無かったよ」エリックは涙ながらに語ります。

最初の放射線治療のせいで、ブランドンは食べたり、話したりするために必要な唾液腺の機能を失っていました。これを知った学校の友人たちは、ブランドンのために800ドルの寄付金を集め、彼に人工唾液をプレゼントしたそうです。家族や友人たちに見守られながら、ブランドンは無事に放射線治療を終了します。

しかし数ヶ月後、ブランドンの体に新たな腫瘍が見つかります。今度は足でした。

癌は足の骨まで到達していたため切断が必要かと思われましたが、足を残して骨の一部を削り取る手術に切り替えられました。ブランドンは手術後の数日間、24時間休み無しの放射線治療を耐え抜かなければなりませんでした。その後の4か月、ブランドンは車いすでの生活を余儀なくされます。

しかしどんなに辛いときもブランドンは一言も文句や弱音を言いませんでした。エリックはそんな息子の車いすを押し、彼を風呂に入れ、いつも側で見守っていました。

「いつかきっと良くなる」2人とも希望を失いませんでした。

ブランドンはゆっくり回復していきました。しかし、癌はまた再発してしまいます。今度はあばら骨です。治療は前回の時と比べると楽なものでしたが、治療の影響で髪の毛が抜けるのは相変わらず慣れませんでした。しかし「必ずまた生えてくる」とブランドンは前向きでした。

「全てのことには理由があると思ってる。神様はそれを知っていて、僕らに色んな試練を与えてくるのかもしれない。でも最後には必ずいいことがあると信じてる。生きていくためには与えられた運命を受け入れなければならないこともある。そうすることで強くなれることもある」ブランデンは言います。

体は誰よりも弱っているはずなのに、誰よりも力強く振る舞うブランドンをエリックと学校の友達は支え続けました。ブランドンが最近コスタリカで有名な大物ミュージシャンからギターを習い始めたのも、学校の友達たちから彼へのプレゼントでした。

そして昨年、ブランドンは高校の卒業式に出席しました。3年間、希望を無くすことなく病気と戦い続けたブランドンは家族の誇りで自慢の息子です。

「強く立派に成長しいく姿が想像できるよ」父エリックは誇らしげに語っています。

これからも、ブランドンが元気になるまでは、二人三脚で頑張っていくつもりです。

「いつかきっと良くなる」というブランドンの言葉、生きたいという強い気持ち、困難な状況に立ち向かう強さ、そして前向きな姿勢に心打たれます。彼の病気がきっと良くなることを心より願っています。