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ロシアのパイロットは子供たちを操縦席に座らせた しかしその10分後副操縦士は重大な異変に気づく

凄惨な事故

1994年3月23日。

捜索隊は、シベリア南部の山岳地帯で、大破した飛行機の機体の残骸と、そして75人もの遺体を発見します。

それは、前日にモスクワから香港へ向かい飛び立ったきり消息を絶った、アエロフロート593便でした。

乗客、そして乗組員含めた75人全員が死亡するという凄惨な事故。

しかしそこには、大きな謎が残りました。墜落した593便は、高性能のオートパイロットを搭載した最新鋭機。一体なぜ、このような大事故が起きたのか…関係者は頭を捻らずにはいられませんでした。

そんな中、捜索員は、コックピットの残骸の中で、あるはずのないものを発見します。それは、子供の遺体でした。

当時はまだ、巡航飛行中の旅客機のコックピットは、乗客がリクエストすれば立ち入りすることは許されていたため、子供がコックピットにいたからといって、それだけが事故の原因になったと断定することはできません。

しかし、回収されたボイスレコーダーを聞いた時、関係者の背筋は凍りつきました。

驚きの真相

のちに結論づけられた事件の真相はこのようなものです。

593便にはその日、機長の2人の子供(16歳の息子と12歳の娘)が乗っていました。

シベリア上空を飛行中、2人の子供たちは、コックピットを見学させてもらうことになるのですが、ここで機長は絶対にやってはいけない行動に出てしまったのです。

機長はコックピットに来た子供たちに、自分の操縦席に座らせ、操縦桿を触らせたのです。

このように、少しだけ子供たちに飛行を委ねても、オートパイロット機能があるため、十分に修正可能であると機長は考えていたようです。

しかし、操縦席に座らせた際、意図せずに、息子はオートパイロットを部分解除するコマンドを実行してしまいます。この時、機長は娘との会話に気を取られていました。警報音なども一切鳴らなかったため、誰もそのことに気づいてはいませんでした。それが、地獄への入り口だったのです。

オートパイロットが一部解除された後、慣れない息子の操縦桿の操作は、機体に右旋回を引き起こしてしまいます。機体の横傾斜は45度にまで達し、限界を迎えた機体で、それでも解除されずに残っていた一部のオートパイロット機能は機体を持ち直そうと試みますが、息子によって一部解除されているため失敗。オートパイロットは完全解除され、機体は失速。

機体はきりもみ状態で急降下を開始しますが、その時に強い重力がかかっていたため、息子は操縦席を立つことすらままなりませんでした。つまりこの悪夢の時間中ずっと、操縦桿はずっと機長の息子が握っていたのです。

重力がわずかに弱まった瞬間を狙って、機長はようやく息子と操縦を交代。しかし時すでに遅し。

高性能のオートパイロットを搭載した最新鋭の機体は、シベリアの山岳地帯に、高速で突っ込むように墜落したのでした…

事故後

アエロフロートは当初、コックピット内に子供がいたことを否定していました。しかし、1994年9月28日にモスクワの雑誌Obozrevatelが事件の真相をスクープすると、それを認める形で真相は明るみに出ました。

機長は、子供たちにとっては、コックピットを見せてくれる優しく誇れる父親だったかもしれません。しかしその行為が結果として、75名もの命を奪うことになったのです。

この事故は、プロフェッショナル意識の欠如が招いた重大事故として、今もなお航空業界で語り継がれています。

事故が起こった際に記録されていた音声は以下の動画から聞くことができます。生々しい音声ですので、聞く際は十分に注意してください。

プレビュー画像:  / © Twitter/AirCrashMayday