えらい
少年は負けるたび怒り狂ってラケットをへし折った しかし20歳の時訪れた悲しい別れが彼の人生を永遠に変える
ロジャー・フェデラーの名を知らない人はいないでしょう。言わずと知れた、スイス出身の伝説的テニス選手。
フェデラーは、コートの中でも外でも、常に冷静沈着で感情を乱さない姿勢で有名でした。その紳士的な態度は、テニス界だけではなく、スポーツ界全体から尊敬され、現役を引退した今となっても、フェデラーを超える影響力を持つテニス選手は決して多くありません。
後にも先にも、フェデラーのようなテニス選手はそうは現れないと言ってもいいほど、傑出した選手だったのです。
そんなフェデラーですが、子供時代は手のつけようがないほどの悪ガキだったと言ってら、みなさんは信じることができますか?
冷静沈着で穏やかな今のフェデラーを知る人にとって、嘘のように聞こえるかもしれませんが、本当の話なのです。
子供時代のフェデラーは、集中力に欠け、ワガママでかんしゃく持ち。負けると審判にヤジを飛ばし、ラケットも叩きつけるような問題児だったのです。
それでも野心だけは強く、「ウィンブルドンで優勝する」と豪語するフェデラーに周囲はあきれ返り、鼻で笑っていたと言います。
しかしフェデラーの才能を見抜く者が一人だけいたのです。オーストラリア出身の若きテニスコーチ、ピーター・カーターでした。ピーターはプロの道をあきらめた元テニス選手でした。
So beautiful ! Thanks !
Peter Carter would have been proud… #RF20 pic.twitter.com/90gGL7SY8m— B (@b_kalliste) January 8, 2019
(後ろの男性がピーター・カーター)
ピーターはオーストラリア人らしいユーモアのセンスを持った、おおらかで落ち着いた男性でした。反抗的なフェデラーでしたが、不思議なことにピーターにだけは心を開き、まるで本当の兄のように慕っていたのです。
ピーターはオーストラリアの実家に電話をかけるたびに、嬉しそうにこんなことを両親に話していたと言います。
「スイスで、素晴らしい才能を見つけたと思う」
‘Strokes of Genius’ is very good but can I mention that there is a gaping hole on the @rogerfederer side of the story that can’t be heard properly because of a tragic car accident in 2002 that killed his coach Peter Carter. pic.twitter.com/pX9agCH12h
— Andrew Castle (@AndrewCastle63) July 8, 2018
ピーターは、暴れん坊だったフェデラーに、感情をコントロールすることの重要性を辛抱強く教えました。10歳から19歳までそうして時を共に過ごしたピーターは、フェデラーにとって家族同然のようになっていったのです。
メンタルのコントロールに難を抱え、テニス選手としていまいち殻を破れずにいたフェデラーでしたが、大きな心を持ったコーチ・ピーターのことが大好きでした。このままずっと、ピーターが自分を導いてくれると信じていたのです。
しかし、その願いは叶うことはありませんでした。
「ピーターが交通事故で死んだ」
その知らせを受けた時、試合のためにホテルに滞在していたフェデラーは、ロビーを駆け抜けて大声で叫んだと言います。
それはピーターが、遅めのハネムーンで向かった先の南アフリカで起きた痛ましい交通事故でした。ピーターは37歳の若さでこの世を去ったのです。
「テニスのどんな敗北とも比較にならない悲しみだった」…フェデラーはのちにこう述懐しています。ハネムーンの行き先として南アフリカを勧めていたのは、他ならぬフェデラーだったのです。
喪失感に打ちひしがれたフェデラーは、もうテニスなどやめてしまおうかとも思いました。近しい人の死を目の当たりにして、テニスなどどうでも良いことのように思えたのです。
しかしピーターの葬儀に参列し、最後のさよならを告げた瞬間に、心の中から湧き上がる決意があったのです。
「ピーターが誇りに思うようなテニス選手になろう…」
それは、過去の未熟な自分との訣別の瞬間でもあったのです。
Next generation nothing like young Roger Federer.https://t.co/f6oUqtVFzA pic.twitter.com/PY1CfMXj3x
— Amber (@AmberRajen) April 27, 2018
長い悲しみの時期を超え、コートに再び舞い戻ったフェデラー。そしてここから、驚くような快進撃がスタートするのです。
ピーターの死後の国対抗試合で、フェデラーは強豪であるモロッコ代表を圧倒的な集中力で打ち負かすのです。フェデラーはスイスのチームメイトに、繰り返し、こんなことを呟いていたと言います。
「ピーターのために勝たなければ…絶対に」
On This Day 2003: @rogerfederer wins the first of 8 Wimbledon singles crowns. pic.twitter.com/jSpZ0G5Mgl
— Laver Cup (@LaverCup) July 6, 2021
フェデラーが念願だったウィンブルドンを初めて制したのは、ピーターの死から1年後の出来事でした。
その後の活躍はみなさんがご存知の通り…世界ランキング1位に4年以上も君臨し続ける、テニス界の真の王者に。
「ピーターの死が僕を良くした、なんて言うことはできない」フェデラーはそう語ります。けれども、ピーターの死の後、何かがフェデラーを打ったのです。もうそこにわめき散らす駄々っ子の名残はありませんでした。
決して声を荒げたりせず、コート上で見せる紳士的な立ち振る舞いは、まさに模範的なテニス選手と言われ、一時代を築いたフェデラーは、まさにテニスの象徴のような存在となったのです。
そして2017年、35歳となり、テニス選手としてのピークは過ぎ去ったはずのフェデラーでしたが、またしても大きな飛躍を遂げます。
6年ぶりに、テニスの四大大会で優勝を果たしたのです。その地は、オーストラリア。ピーターの、母国でした。
Federer winning 2017 Australia open was quite inspirational to me 🙂 pic.twitter.com/BwjyIwKybm
— Shreyash Bukkawar (@federer_messi18) October 5, 2020
優勝を決めた時、フェデラーのファミリーボックスには、泣き崩れる老夫婦の姿がありました。
それは他でもない、コーチ、ピーター・カーターの両親でした。フェデラーの中に、若くして旅立った自分の息子の姿を見たのかもしれません。
Young Roger Federer with his Former Coach Late Peter Carter ❤️?#TeachersDay #GetWellSoonRoger pic.twitter.com/st4a0kEtzN
— RF Fan ❤️? (@Aksriv04) September 5, 2021
ピーターについて尋ねられると、いつもフェデラーはこう答えます。
「ピーターは僕の初めてのコーチではなかったが、本物のコーチだった」
テニス界の絶対王者フェデラー。闘い続けられたのは、いつもオーストラリアのコーチが心にいたからなのかもしれません。
A few nice childhood pics of @rogerfederer in “Mats’ point”. pic.twitter.com/pYuwSMYzsr
— LetsTalkTennis (@letstalktennis1) November 4, 2014
プレビュー画像: / © Twitter/letstalktennis1
