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えらい

少年は負けるたび怒り狂ってラケットをへし折った しかし20歳の時訪れた悲しい別れが彼の人生を永遠に変える

ロジャー・フェデラーの名を知らない人はいないでしょう。言わずと知れた、スイス出身の伝説的テニス選手。

フェデラーは、コートの中でも外でも、常に冷静沈着感情を乱さない姿勢で有名でした。その紳士的な態度は、テニス界だけではなく、スポーツ界全体から尊敬され、現役を引退した今となっても、フェデラーを超える影響力を持つテニス選手は決して多くありません。

後にも先にも、フェデラーのようなテニス選手はそうは現れないと言ってもいいほど、傑出した選手だったのです。

そんなフェデラーですが、子供時代は手のつけようがないほどの悪ガキだったと言ってら、みなさんは信じることができますか?

冷静沈着で穏やかな今のフェデラーを知る人にとって、嘘のように聞こえるかもしれませんが、本当の話なのです。

子供時代のフェデラーは、集中力に欠け、ワガママでかんしゃく持ち。負けると審判にヤジを飛ばし、ラケットも叩きつけるような問題児だったのです。

Twitter/ letstalktennis1

それでも野心だけは強く、「ウィンブルドンで優勝する」と豪語するフェデラーに周囲はあきれ返り、鼻で笑っていたと言います。

しかしフェデラーの才能を見抜く者が一人だけいたのです。オーストラリア出身の若きテニスコーチ、ピーター・カーターでした。ピーターはプロの道をあきらめた元テニス選手でした。

(後ろの男性がピーター・カーター)

ピーターはオーストラリア人らしいユーモアのセンスを持った、おおらかで落ち着いた男性でした。反抗的なフェデラーでしたが、不思議なことにピーターにだけは心を開き、まるで本当の兄のように慕っていたのです。

ピーターはオーストラリアの実家に電話をかけるたびに、嬉しそうにこんなことを両親に話していたと言います。

「スイスで、素晴らしい才能を見つけたと思う」

ピーターは、暴れん坊だったフェデラーに、感情をコントロールすることの重要性を辛抱強く教えました。10歳から19歳までそうして時を共に過ごしたピーターは、フェデラーにとって家族同然のようになっていったのです。

メンタルのコントロールに難を抱え、テニス選手としていまいち殻を破れずにいたフェデラーでしたが、大きな心を持ったコーチ・ピーターのことが大好きでした。このままずっと、ピーターが自分を導いてくれると信じていたのです。

しかし、その願いは叶うことはありませんでした。

 

「ピーターが交通事故で死んだ」

 

その知らせを受けた時、試合のためにホテルに滞在していたフェデラーは、ロビーを駆け抜けて大声で叫んだと言います。

それはピーターが、遅めのハネムーンで向かった先の南アフリカで起きた痛ましい交通事故でした。ピーターは37歳の若さでこの世を去ったのです。

Helen Pugh's funeral

「テニスのどんな敗北とも比較にならない悲しみだった」…フェデラーはのちにこう述懐しています。ハネムーンの行き先として南アフリカを勧めていたのは、他ならぬフェデラーだったのです。

喪失感に打ちひしがれたフェデラーは、もうテニスなどやめてしまおうかとも思いました。近しい人の死を目の当たりにして、テニスなどどうでも良いことのように思えたのです。

しかしピーターの葬儀に参列し、最後のさよならを告げた瞬間に、心の中から湧き上がる決意があったのです。

「ピーターが誇りに思うようなテニス選手になろう…」

それは、過去の未熟な自分との訣別の瞬間でもあったのです。

長い悲しみの時期を超え、コートに再び舞い戻ったフェデラー。そしてここから、驚くような快進撃がスタートするのです。

ピーターの死後の国対抗試合で、フェデラーは強豪であるモロッコ代表を圧倒的な集中力で打ち負かすのです。フェデラーはスイスのチームメイトに、繰り返し、こんなことを呟いていたと言います。

「ピーターのために勝たなければ…絶対に」

フェデラーが念願だったウィンブルドンを初めて制したのは、ピーターの死から1年後の出来事でした。

その後の活躍はみなさんがご存知の通り…世界ランキング1位に4年以上も君臨し続ける、テニス界の真の王者に。

「ピーターの死が僕を良くした、なんて言うことはできない」フェデラーはそう語ります。けれども、ピーターの死の後、何かがフェデラーを打ったのです。もうそこにわめき散らす駄々っ子の名残はありませんでした。

決して声を荒げたりせず、コート上で見せる紳士的な立ち振る舞いは、まさに模範的なテニス選手と言われ、一時代を築いたフェデラーは、まさにテニスの象徴のような存在となったのです。

そして2017年、35歳となり、テニス選手としてのピークは過ぎ去ったはずのフェデラーでしたが、またしても大きな飛躍を遂げます。

6年ぶりに、テニスの四大大会で優勝を果たしたのです。その地は、オーストラリア。ピーターの、母国でした。

優勝を決めた時、フェデラーのファミリーボックスには、泣き崩れる老夫婦の姿がありました。

それは他でもない、コーチ、ピーター・カーターの両親でした。フェデラーの中に、若くして旅立った自分の息子の姿を見たのかもしれません。

ピーターについて尋ねられると、いつもフェデラーはこう答えます。

「ピーターは僕の初めてのコーチではなかったが、本物のコーチだった」

テニス界の絶対王者フェデラー。闘い続けられたのは、いつもオーストラリアのコーチが心にいたからなのかもしれません。

プレビュー画像:  / © Twitter/letstalktennis1