【ケネディ家の栄光の影に葬られた長女】幸せそうに微笑むJ.F.Kの実妹…しかし彼女を待ち受けていたのはあまりにも残酷な運命だった

アメリカで最も有名な一族、ケネディ家。第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディなど著名な政治家や実業家を輩出しているアイルランド系の名門一族で、王室のないアメリカにおいて「アメリカのロイヤルファミリー」とも称されるほど、アメリカ国内で最も注目される名家です。

まさに華麗なる一族…しかしその一方で多くの家族が不幸な死を遂げていることから、「悲劇のケネディ家」としても知られており、一族に訪れた一連の悲劇を「ケネディ家の呪い」とする説もまことしやかにささやかれています。

ケネディ一族の中でも、1963年に遊説先で凶弾に倒れた大統領ジョン・F・ケネディ、そして1968年に大統領候補指名選挙のキャンペーン中に暗殺されたロバート・ケネディ、1999年に操縦していた軽飛行機の墜落事故で亡くなったジョン・F・ケネディ・ジュニアの悲劇的な死に注目が集まりますが、その他にも事故死や薬物摂取過剰による死など不幸な死が相次ぎ、不運に見舞われた一族としてとらえる説もあります。

しかし、アメリカきっての名家の光の影に、ひっそりと葬り去られた女性の存在はあまり知られてはいません。

ケネディ家の華やかな栄光の影に…ひっそりと葬り去られた長女

彼女の名はローズマリー・ケネディ。ケネディ家の当主である父ジョセフ・P・ケネディと母ローズの第三子として1918年に誕生しました。

父ジョセフ・P・ケネディは不正取引も辞さないやり手の実業家で、投資により莫大な富を築き上げ、「ケネディ王国」の礎を築いた人物です。インサイダー取引やマフィアとの癒着など黒い噂が耐えないものの、巨大な資産をバックグラウンドに政治家として中央政界への進出を目指す野心家でした。

地元の名士の長女として生まれたローズマリー。名家の娘として輝かしい人生が約束されたかのように見えたものの…彼女の人生は誕生の段階から大きくつまづいてしまいます。

(母の膝の上で二人の兄の間に座るローズマリー)

人為的な医療ミスにより狂った人生の歯車

当時は家庭での出産が一般的であり、出産に立ち会う医師は出産に立ち合わないと医療費が支払われないシステムでした。そのため、多くの看護師は呼び出された医師が出産に間に合うように分娩を遅らせる訓練を受けていました。

ローズマリーの出産した年はスペイン風邪大流行の年。陣痛が始まったものの、医師の到着が大幅に遅れてしまいます。先に到着した看護師は医師が到着するまでの2時間もの間、ローズマリーの頭を押さえ続け、産道から出ないようにしていたのです。

その結果、脳に十分な酸素が行きわたらず、ローズマリーは後天的な知的障害を負うことに。

人為的な医療ミスにより、ローズマリーの運命は大きく変わってしまったのです。

成長するに従い、両親はローズマリーの発達の遅れに気がつきます。長男ジョセフと次男ジョン(ジョン・F・ケネディ)に比べ、動作が遅く、同じ年頃の子供たちができる遊びができない…成長するごとに、両親の違和感は募る一方でした。

母ローズの厳しい躾の甲斐あり、上流階級の作法は身につけることはできたものの、勉強について行くことができず、活発で利発なケネディ家の兄弟たちとの差は開くばかり…両親はローズマリーに知能テストを受けさせます。

知能テストの結果、彼女の知的レベルはIQ60~70程、精神年齢8歳から12歳であると判定されました。

知的障害者に対する社会の偏見と世間体を重んじる両親

現代ならば知的障害者が社会適応できるよう支援する体制も整っているため、ローズマリーのように軽度の知的障害であれば社会参加と自立を目指すことも可能です。しかし、当時は発達遅滞に関する社会全体の理解が乏しい時代。「遺伝的に欠陥があるに違いない」「欠陥のある子供を産む可能性がある」として強制的に不妊手術を受けさせるなど、ローズマリーのようにある程度社会生活に適応できる軽度の知的障害ボーダーラインの女性に対する世間の対応はひどいものでした。

財政界の名士として、将来的にホワイトハウスへの進出を見据えた父ジョセフにとって、ローズマリーの障害はたとえ医療ミスによるものでも受け入れ難いものでした。ローズマリーの障害が明るみになれば、一族に遺伝的欠陥があるに違いないと白眼視されることは目に見えています。

ローズマリーの現状を周囲に悟られないために、世間体を重んじる両親は手を尽くしました。ローズマリーは両親が手配した専属の家庭教師によって教育を受け、目立つことのないようにひっそりと養育されます。

15歳になったローズマリーは聖心女子学院に進学します。本来ならば入学も困難な状態でしたが、ケネディ家の娘たちが同校で高等教育を修めることが慣例となっており、多額の献金をしていたため、専任のシスター2人と教師1名がつきっきりで担当する特別措置がとられました。現在でいう支援学級がローズマリーのために特別に組まれたのです。

その甲斐もあり、ローズマリーの学習レベルは小学校4年生程度まで上がり、読み書きや綴り、計算ができるようになりました。

寮生活を送るローズマリーは両親と文通していましたが、彼女は当時の上流婦人のたしなみであった筆記体の文字を読むことができなかったため、母ローズは娘への手紙をタイプで打っていました。

「なぜ私は違うの?」兄弟妹との格差に葛藤

大人しい性格のローズマリーでしたが、成長とともに自我が芽生え、思春期を迎える頃には自分と兄弟たちとの違いについて悩み葛藤するようになります。

「なぜ、ダンスパーティで私だけ兄以外の男性と踊ることができないのか?同世代の女の子は違うのに」

「どうして家族の会話に自分だけがついていけないのか?」

優秀な兄弟妹たちとの差は開くばかり、父からのプレッシャー…劣等感と苛立ち、自分だけ特殊な抑圧された生活を強要され、行き場のない若いエネルギーを持て余したローズマリーは癇癪を起こすことが増えるようになりました。普段は大人しいものの、ときどき怒りを爆発させるローズマリーに対し、家族も次第に手を焼くようになります。

美しく魅力的な若い女性へと成長したローズマリーでしたが、両親は娘の障害が周囲に知られることを恐れ、誰も付き添いがいない状態で一人で外出することを禁じました。その結果、ローズマリーは頻繁に家出を繰り返しました。

1938年、父ジョセフの在英国大使就任により、一家はイギリスへ移住します。当時はイギリスもアメリカ同様に、発達の遅延に関する理解は乏しく、障害を持った上流階級の子供は社交界にデビューせずにひっそりと生涯を終えることが通例でした。

しかし幸いにもローズマリーはイギリス社交界にかたちだけでもデビューすることが叶います。

米国在英国大使の家族として、母と妹たちと共にバッキンガム宮殿で英国王と王妃に拝謁する機会を得たローズマリーは、イギリス王室向けのマナーのレッスンを受け、宮廷での拝謁を無事にやりおおせます。

ドイツが英国本土の空襲を始めると、怖気付いた父ジョセフは早々に帰国を決意。ローズマリーだけが一人イギリスに残り、モンテッソーリ式教育所付属の修道院経営の幼稚園で子どもたちに本を読み聞かせるなど、充実した日々を過ごしました。

帰国後に待っていた自由のない息の詰まる生活

やがて、戦局が激しさを増すとローズマリーもアメリカに帰国。修道院付属学校に入れられ、自由を制約され厳しい過密スケジュールに追われる日々…事実上の軟禁生活を送ることになります。若いローズマリーには到底受け入れ難い現状でした。家族に宛てた手紙には、修道院生活に対する不満と不安が書き綴られています。

多忙な日々を送る友人や兄弟妹たちの訪問も途絶え、孤独な日常生活。彼らは外の世界で充実した自由な生活を謳歌しているのに…23歳のローズマリーは夜ごと修道院から抜け出して街を彷徨い歩くようになります。

脱走に気づいた修道院のシスターたちはローズマリーが夜の盛り場で出会った男性たちとセックスをしているのではないか、危惧します。見た目は大人でも、精神的には子供同然。純粋で人を疑うことを知らないローズマリーが夜の街を彷徨うことに大きな不安を抱いたのです。

敬虔なカトリック教徒であり上流階級の名家として体裁を重んじる両親、特に父ジョセフにとって夜な夜な修道院を抜け出すローズマリーの素行は到底受け入れ難いものでした。未婚女性の純潔が重要視された当時、上流階級の子女にとって結婚まで処女であることは鉄則。もしローズマリーが不純異性交遊でスキャンダルを起こしたり妊娠でもしようものなら家門の恥

「ケネディ家の政治活動の妨げになりかねない」自らの失言によりホワイトハウス入りの夢を絶たれ、長男のジョー・ジュニアにその夢を託し、大統領にするという野望を抱いていたジョセフにとって、黙認し難い問題だったのです。

「家名を汚さないために」野心家の父が下した無情な決断

大ごとが起こる前になんとかしなければ、そう考えたジョセフが下した決断は娘にロボトミー手術を受けさせるというものでした。

ロボトミーとは精神病の治療として頭蓋骨に穴を開け、脳の前頭葉の一部を切除する現在の医学では「人類最悪の手術」と呼ばれるほどにタブーの手術です。神経回路を脳のほかの部分から切り離すことで暴力性のある重度の精神病患者を大人しくさせると謳われ、当時は有効な手術とみなされていました。

しかし、健康体で軽度の発達遅滞がある程度で日常生活に大きな問題もないローズマリーにこの手術を施すことは、その時代ですらありえないことでした。

1941年ジョセフは手術を嫌がる娘に耳を貸さず、さらには妻や周囲の反対を押し切り、独断で娘の手術を決行させました。

結果はあまりにも無残なものでした。

手術は完全に失敗。ローズマリーは半身にマヒと尿失禁の後遺症が残り、知的障害はより重くなり精神状態は幼児のレベルにまで後退。人格は完全に破壊され、彼女の人生は完全に覆されました。

術後見舞いに訪れた母ローズは変わり果てた娘に打ちのめされます。その後、1949年に見舞いに訪れたのを最後に20年間一度も娘に会うことはありませんでした。ジョセフは自ら強制した手術により重度知的障害者となった娘に会おうとすらせず、絶縁。ローズマリーを居ないものとして扱いました。

両親はローズマリーを実家から遠く離れた障害者施設に送り、兄弟妹たちはその後20年間ローズマリーがどこにいるのかすら教えてもらえませんでした。

長女を消したケネディ家への高まる批判

ケネディ家の中から存在を抹消され、「亡きもの」として扱われたローズマリー。しかし、周囲や関係者の多くは突然姿を消した長女ローズマリーのことを不審に思い、一族から彼女の存在を完全に消したケネディ家に批判が徐々に高まります。

1961年、次男ジョンが大統領になると消えた長女ローズマリーの疑惑に注目が集まり、廃人化させた彼女を隠蔽していた事実がマスコミによって暴かれ激しく糾弾されます。ケネディ家に対する痛烈な批判をかわすため、ジョンは福祉政策に力を入れ、精神障害者への待遇の改善策を打ち立てますが、暗殺により政策は頓挫。

一方、兄弟妹の中で最もローズマリーを気にかけ、たびたび見舞いに訪れていた三女ユーニスは障害者を集めたデイキャンプを開催。当初はケネディ家の隠遁に対するバッシングをかわすために行われたものだとして批判を受けましたが、一時の批判逸らしに留まることなく全米に活動が広げられ、やがて国際的な知的障害者スポーツ大会「スペシャルオリンピックス」へと成長します。

ローズマリーが幼年期をすごしたケープ・コッドの家を再び訪れることができたのは、父ジョセフの死後でした。

甥や姪たちと心を通わせ、彼らにレジャーに連れ出してもらうなど、ケネディ家の一員として扱われるようにはなったものの、母ローズは年に1度の娘の訪問すら苦痛でした。

幸いにもローズマリーは他の兄弟妹同様に信託財産を持っていたので、入居先の施設セント・コレッタでは十分な待遇を終生受けることができました。

ロボトミー手術から64年後の2005年1月7日、ローズマリーは末妹ジーン、三女ユーニス、四女パトリシア、それに末弟テッド(エドワード)に看取られながら、86歳の生涯の幕を閉じました。

彼女の死はケネディ9人兄弟のなかでは5番目となりますが、皮肉にも暗殺や事故死などではない自然死を遂げたのは彼女が最初でした。

アメリカの政治史において切っても切り離せないケネディ家。しかし、その一族の華やかな栄光の影にひっそりと葬り去られたもう一人のケネディがいたのです。23歳にして人格を破壊された上に、家族から断絶され人生の大半を施設でひっそりと過ごしたローズマリー。名家に生まれながらも、周囲のエゴに翻弄された悲劇的な人生に胸が痛みます。

プレビュー画像©︎pinterest/irishcentral.com

出典

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