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トリビア

女性はベイルートでの爆発後60年暮らした自宅に戻った がれきが散乱する中で彼女が真っ先にとった行動に世界中が息を呑んだ

中東レバノンの首都ベイルートで4日起きた大規模爆発。未曾有の大惨事となったその爆発は世界中の人々に衝撃を与えました。

これまでに100人以上もの人が命を落とし、5000人以上が負傷、そして未だ行方のわからない人は数十人いるとも言われています。倉庫に保管してあった2750トンもの硝酸アンモニウムに引火したことが爆発の原因と言われていますが、責任の所在はいまだにはっきりとしておらず、まさに混沌と呼ぶべき状態が続いています。

この爆発の余波により半径数キロに及ぶ建物が被害を受け、30万人が自宅に住めない状態に。レバノン政府は非常事態宣言を発しています。

79歳のメイ・アブード・メルキさんは爆発があった翌日の5日、夫とボランティアとともに被害を受けた自宅へと向かいました。爆発当時、夫妻は自宅にはおらずその難を逃れることができたそう。しかし60年住んでいるというその家は、無残にも窓ガラスは吹き飛ばされ、壁には穴が空き、家具はひっくり返され、室内はがれきが散乱するというめちゃくちゃな状態でした。

Facebok/May-Lee Melki

その様子にショックを隠せなかった2人。しかし、メイ・アブード・メルキさんがそんな中で真っ先に向かったのは、部屋の奥にあるピアノでした。そのピアノは結婚の日に彼女の父からプレゼントされたもの。

Facebok/May-Lee Melki

そして、次の瞬間彼女は鍵盤に手を伸ばしピアノを弾き始めたのです。その時の映像がこちら。

がれきが散乱し、ガラスを片付けているだろうと思われる音がするなか、そこには蛍の光のメロディーが。その旋律はまるでそれを聴く人々の心を慰めるように、そして何よりもメイ・アブード・メルキさん自身が心に受けた痛みや悲しみを沈めるようなものでした。

孫のメイリー・メルキさんはこの瞬間を、築きあげてきたものが失われた時の喪失感の中で生まれた美しい瞬間だったとし、また祖母であるメイ・アブード・メルキさんがその計り知れない心の痛みをなんとかやり過ごしたと語っています。

レバノン内戦、経済危機、異常な物価高騰、物資欠乏、コロナ禍と常に困難に耐えることを強いられ、それでも負けずに生き抜いてきた人々。

メイ・アブード・メルキさんが静かに蛍の光を奏でる姿は、悲惨な状況下でも希望を失わないレバノンの人々の不屈の精神の現れとして多くの人の目に留まり、この動画はこれまでに約3万人によってシェアされています。

東南アジアや中東地域で現地の人々の暮らしを支援するNGO団体パルシックが届けた、現地の人の言葉が胸に痛烈に突き刺さります。

「僕たちは、内戦も多くの事件も、全て生き抜いてきた。今回の惨事なんて、いつものことさ、慣れている、そう思いたい。けれど、今回のは、コロナに経済危機に失業にと、全てに打ちのめされていた中で起こったから、本当に耐えられない気がする。けど、僕たちは、結局のところ、これを全て受け入れて生き抜いていくしかないんだ。そう、こんなことで負けてしまうわけにはいかないんだ」

現在、フランスや中東諸国をはじめ多くの国がレバノンの支援に乗り出しています。暮らしが一変してしまったレバノンの人々。彼らが1日も早く平穏な暮らしを取り戻せることを願ってやみません。

プレビュー画像:©︎Facebook/May-Lee Melki