ちえとくをフォローする

トリビア

【命がけでお洒落】これはヤバイ…危険すぎてドン引き?!昔のとんでもない美のトレンド7

「美しくなりたい」それは人間が抱える普遍的な願望の一つです。歴史を紐解けば、いつの世も人々は美に憧れ、手に入れようと飽くなき「美への探求」を重ねてきました。

お洒落は我慢!とばかりに窮屈なコルセットで縛りあげたり、毒草で瞳孔を拡大させてキラキラ輝く瞳を演出したり、鉛配合の白粉を塗りたくったり…と、かなり無茶振りをしてきた先達たち。その危険性が十分に知れ渡った今となっては、「それってヤバイんでないの…?」とドン引きしてしまうとんでもなくハイリスクなファッションや美容法もかつて王道として取り入れられていました。

美の探求者たちの健康を著しく害し、ときには命をも奪った「恐るべき美のトレンド」7選を紹介します。

1.年間3000人の命を奪った恐ろしい流行: クリノリン

スカートをふくらませるために、鯨ひげや針金を輪っかにし重ねて作られた特殊な下着、「クリノリン」。

1850年代にフランスでクリノリンが発明される以前は、スカートのボリューミー なシルエットを作るために何枚も重ね着が必要だったので、画期的なこの下着の登場は当時一大センセーションを巻き起こし、上流階級の淑女にとってなくてはならない必須アイテムとなりました。

しかしながら、ご覧のように体からかなり離れたところまで張り出したボリュームゆえに、引っ掛け事故や足元が見えず転倒事故が多発。屋外の事故だけでなく室内でもスカートに暖炉の火が燃え移る事故が後を断ちませんでした。

馬車の車輪に巻き込まれたり、強風に煽られ桟橋から落ちそうになるなど、まさに危険ホイホイ、死を招きかねない下着。外出の際は細心の注意を払う必要がありました。

↓ こちらは「クリノリンの便利な活用法」と皮肉った当時の風刺画

特に、クリノリンで周囲に大きく張り出したドレスに暖炉の火が着火する事故は深刻で、流行最盛期には年間3000人がクリノリンによる事故で死亡し、2万人が負傷したといわれています。

2. 悪名高い「足かせスカート」: ホブルスカート

19世紀から20世紀への変わり目の頃と1910年代前半だけという短い間に流行した「ホブルスカート」。

腰から膝にかけてすぼまるようなデザインのこのスカートは女性の歩幅を狭め、優美な印象を与えると考えられていました。しかし、うっかり歩幅が広くなりスカートが破れることを防ぐため、組みひもでできた足かせがスカートのひざ下の辺りに装着されていたため、安全上かなり問題アリアリな危険なスタイルでもありました。

スカートの足かせにつまずいて転ぶ女性が続出。小さな歩幅でよちよち歩き状態となるため、ある女性は暴走する馬車馬を避けることができず死亡、またある女性はスカートで足がもつれたことにより橋から転落するなど、危険極まりない足かせスカートにより事故は後を断ちませんでした。

大股でガツガツ歩くことができない代償は大きかったようです。ごく短期間で見切られ、流行が終わったのがせめてもの救いです。

3. インフルエンザと痴漢ホイホイドレス: 透け透けエンパイア・スタイル

フランス革命後、ナポレオン1世が台頭した18世紀後半から19世紀初頭にかけて流行した薄い絹やモスリンなどの透ける木綿生地を用いシュミーズ・ドレス。大きく開いた襟ぐりにハイウエスト、小さなパフスリーブが特徴的なこのドレスはナポレオン1世の皇妃ジョセフィーヌが好んで着用していたことから「エンパイア・スタイル」と呼ばれました。

前王朝時代のゴテゴテの装飾は排除され、よりシンプルなデザインではあるものの、肌が透けて見えるほど薄い白の綿モスリンンやごく薄い絹で作られたこのドレスは実際に着用するとかなり透け透け。張りのない柔らかな生地は体のラインを拾い、女性の体の自然なカーブが目立つようにデザインされていました。

しかし女性たちはさらにこのドレスの特徴をアピールするため、モスリンのドレスを水で濡らし、より体に密着するように演出していたのです。元々透ける素材なのに、それを更に濡らす…一体どうなるかご想像できますでしょうか?

夏場ならともかく、お洒落に熱心な女性たちは寒い季節でもこのドレス水濡らしテクを果敢にも敢行。その結果、極寒の冬…肺炎にかかる女性が続出。1803年にはパリでインフルエンザが大流行し、その原因はモスリンのドレスを濡らす流行のせいだとする説もあります。

この流行の最先端を担う「メルヴェイユーズ」(伊達女)の間では乳首が透けて見えるほどの透け透け布地でないとダサい!とすら定義づけられており、フランソワ・ジェラールの名画の一つであるレカミエ夫人の肖像画も乳首が透けて描かれています。現代の感覚だと痴女と勘違いされてしまいそうな攻め系乙女ファッションだったのですね。

当時の社交界の華であり美貌のファッションリーダーとして名を馳せたテレーズ・カバリュス(タリアン夫人)は、靴下留めの色が見分けられるほど薄い綿チュールのドレスを着てパリのチュイルリー公園を散歩したとか。

しかし…透け透けの肌に密着ドレスは多くの痴漢を誘発する痴漢犯罪ホイホイドレスでもありました。自制心のない痴漢男どもが続出。当時、パリのトレンディな淑女たちのお散歩コースであったチュイルリー公園には痴漢が出没しまくったそうです。

4. 瞳孔、開いてますよ

晩春から初夏にかけ、紫褐色で鐘状筒形の花を咲かせる多年草ベラドンナ。イタリア語で「美しい貴婦人」という意味を持つこの植物はヨーロッパでは古くから鎮痛・鎮痙・止汗効果のある薬草として使われる一方、危険な毒草としても知られていました。

ヨーロッパの中世ルネサンス期には貴婦人達が目を美しく見せるため、こぞってベラドンナの葉を絞った汁を点眼して瞳孔を開いていたそうです。

まるで恋に落ちた瞬間のように瞳孔が開いてキラキラ…潤んだ意味ありげな瞳を演出してくれるベラドンナ点眼ですが、当然ながら毒草なので頭痛や吐き気、目のかすみなどの副作用に悩まされる貴婦人が続出。美のためとはいえそこまでするのか…と呆れてしまうほどの美意識の高さ、凄まじいですね。

5. コルセット

キュッと引き締まった細いウエストは今でも理想的ボディパーツの一つ。ウェストを締め上げ、細いラインを演出するコルセットは、中世の14世期頃に上流階級の女性の間に普及し、男女問わず細いウェストが好ましいとされた18世期には上流階級の男性の間でも流行しました。

かくして中世から20世紀初頭にかけて西洋の主に女性たちのウエストを締め付けてきたコルセットですが、最もエキセントリックな域にまで達したのは19世期半ば。

ウエストが細ければ細いほど美しいとされたヴィクトリア朝時代、世の淑女たちは召使や家族の手を借りてギュウギュウにウエストを締め上げていました。

しかし、力の限り締め上げた結果、女性たちの身体は限界に達しつつありました。

極限まで細く…!と限界までギュウギュウ締め上げられたウエストは肋骨が変形し、本来の位置にあるはずの臓器が下に押しやられ、健康状態は著しく悪化。古典文学には病弱で頻繁に失神する主人公や貴婦人が登場しますが、コルセットが要因でもあったようです。

肋骨が折れてしまうこともザラで、中には亡くなった女性の肝臓に肋骨が刺さっていた事例や肝臓が押し潰されてしまう事例もあったとか。

↓どこまでも細く…細くてナンボ!な時代、極限まで細いウエストは女性たちのステイタスシンボルでした

しかし、体に負担をかけてでも細いウエストを手に入れたい!と願う当時の女性たちの執念は凄まじく、一番下の肋骨を外科手術で抜いてまでして更なる細さを求める女性も後を断ちませんでした。現在に比べると衛生面でも技術面でも劣る当時の医学、術後の傷が炎症を起こして死に至るケースも少なくなかったようです。

コルセットの呪縛により、女性たちは頭痛や息切れ・血行不良・失神などの健康問題に悩まされていました。身体を内外から蝕むトレンドに終止符が打たれたのは20世期初頭、「女性をコルセットから開放した人物」としてココ・シャネルが有名ですが、実は、ポール・ポワレという男性デザイナーです。

6. 「お父さん殺し」の異名を持つ首絞めカラー(立ち襟)

19世紀初頭、イギリスでファッションアイコンとして君臨したジョージ・ブライアン・ブランメル。Beau Brummell(伊達男ブランメル)の名でヨーロッパの上流階級にも広く知られた彼は現代に通じるイギリス紳士服の基礎を作ったと言われています。

彼が考案した白いクラヴァット(ネクタイ)を首回りに高々と結びつけるスタイルは当時の伊達男たちが競って真似をしようとしました。

カチカチに堅くのり付けしたクラバットを首を伸ばした体勢で装着。首回りがかなりキツキツになるため、うっかり下を向いた姿勢が続こうものなら堅い立ち襟で圧迫された首回りが鬱血しそうになるほどでした。

泥酔して寝込んでしまい、カラーに首を締め付けられた状態で窒息死するケースや、発作を起こして首がむくみカチコチのカラーに気管を圧迫されて亡くなるなど、カラーによって命を落とす紳士が続出。その結果、この英国ダンディズムの象徴でもある誇り高きカラーは「お父さん殺し」の異名でも知られたそうです。まさに命がけでお洒落。

7. ヅラが命取りに

17世期から18世期にかけてヨーロッパの上流階級ファッション必須アイテム、カツラ。ボリューミーな白髪をカールさせた盛りヘアが、当時の流行でした。特にファッションの最先端とされたフランス王宮の王妃マリー・アントワネットの盛り盛りヘアはヨーロッパ社交界の注目の的。

宮廷のファッションリーダー的存在であった彼女はアメリカ独立戦争でフランス軍が参戦した際に、船の模型を載せてみたりとかなり迷走…じゃなくて斬新な盛りヘアを披露したことでも知られています。

しかしそんな見応えのありすぎる盛りヘアファッションにも大きな欠点がありました。

高く…もっと高く…!と、限界まで盛り上げたカツラゆえに、ドアの出入り口で引っかかったり、馬車ではヅラが天井につっかかり座席に座ることもできず、床にしゃがむ始末。中にはうっかりシャンデリアや燭台の蝋燭の火がカツラに燃え移り、火傷を負ってしまったり焼死してしまうこともあったのです。命を落とした原因はカツラ…なんともやりきれない悲劇です。

カツラのスタイリングには牛脂やクマの脂が使われ、さらに小麦粉をまぶして白く仕上げていました。カツラを洗うことはめったにないため、不衛生この上なく、ノミやシラミがたかり放題。相当に臭かったことでしょう。

就寝中にカツラを外すと、脂の匂いに釣らたネズミがカツラをかじりにくるので、カツラ専用のネズミ避けケージが開発されたそうです。

↓ こちらは当時の風刺画。大袈裟に誇張してかかれていますが(そう思いたい)、当時の上流階級の人々の盛りヘアへの熱狂ぶりを伝えています。

お洒落のためなら、リスクも厭わない!昔の人々の美への執念、美意識の高さは目を見張るものがあります。「お洒落は我慢」とは言いますが、ここまでやるのか…と呆れると同時に思わず感心してしまいますね。

近世・近代ヨーロッパの上流階級のとんでもない習慣も是非ごらんください ↓

【現代の感覚ではドン引き?】近世・近代ヨーロッパの上流階級のヤバイ風習

プレビュー画像: ©️pinterest/fotki.yandex.ru

【命がけでお洒落】これはヤバイ…危険すぎてドン引き?!昔のとんでもない美のトレンド7【命がけでお洒落】これはヤバイ…危険すぎてドン引き?!昔のとんでもない美のトレンド7