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事故に遭い亡くなった母の様子を淡々と綴る小学校四年生 間違いを指摘しようとした教師はハッとした

みなさんも小学生の時に、学校の授業でを書いた思い出があるでしょう。

詩とは言っても、多くの生徒は、友達と遊んだこととか、家族でお出かけしたことのような他愛のない出来事を、短い文にしてまとめただけ、なんてものがほとんどだったのではないでしょうか。

心に響く詩を書くことなど、そう容易くできることではありません。

 

しかし…今、新聞に掲載されたある小学生の詩が、深く心に響いてくると大きな話題を呼んでいるのです。

実際にその記事をお読みください!

Twitter/ tenpelon

Twitter/ tenpelon

ある小学校4年生が、こんな詩を書いてきたそうです。

 

お母さんが 車に はねられた

お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた

お母さんを かそうばへ つれていった

お母さんが ほねになってしまった

お母さんを 小さなはこに 入れた

お母さんを ほとけさまに おいた

お母さんを まいにち おがんでいる

 

事故で亡くなったお母さんとの別れを綴った、あまりにも悲しい詩。母を亡くした悲しみが、淡々としたリズムと共にありありと伝わってきます。

担任の先生は、主語である「お母さん」は1回書けばいい、2回からは要らないと指導したそうです。

しかしその小学4年生は、断固として直そうとしませんでした。

どうしたものかと先生から相談された詩人の故・佐藤浩さんは、こう答えたと言います。

「何回でも、百万遍でも、書かせてあげてください。詩の形を整える前に、その子の悲しみを分ち持って…」

おそらくこの小学4年生は、詩としての強さや美しさやを考えてあえて「お母さん」という言葉を残した、というわけではなく、ただ単に、「お母さん」という言葉を詩の中で何回も叫びたかったのではないでしょうか。

しかし、結果として、小学4年生の心の中がありありと伝わってくるようで、とても心に響く詩になってはいないでしょうか?

Twitterの人々の反応

亡き母を想い、幾度も母を呼ぶ子供の心がひしひしと伝わる詩に心を揺さぶられます。形式にとらわれず、ありのままの心を表現することは、どんな詩の技術にも優るレトリックなのかもしれません。

 

プレビュー画像:  / © Twitter/ tenpelon