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ジーンとくる話

【最期まで一生懸命生きた】醜い野良猫「アグリー」の物語

アグリーという名前の子猫の物語があります。いつ頃、誰が伝えた話なのかはわかりませんが、この話は私たちに時を超えて大切なメッセージを伝えています。

 

私の住む街にアグリーと呼ばれる野良猫がいた。アグリーとは「醜い」という意味。その醜さゆえに、私の住んでいたアパートの住人も皆、アグリーを嫌っていた。

アグリーには大好きなものが3つあった。ケンカ、ゴミあさり、そして愛。彼は人が大好きだったのだ。しかし、路上生活でケンカの絶えなかったアグリーには片目しかなく、もう片方の目は空洞になっていた。耳も同じ側が失われていた。左後ろ脚は一度骨折してしまったのか不自然な角度で曲がっており、まっすぐ歩くことができなかった。アグリーは灰色の縞模様の猫だったが、頭や首や肩はただれており、色や模様すらわからなくなっていた。

誰もがアグリーを見るたびに「なんて醜い猫だ」と言った。子どもたちは彼に触ってはいけないと警告され、大人たちは彼が近寄ると、石を投げつけたり、ホースで水をかけて追い払おうとした。

でも、どんなにひどいことをされてもアグリーの人への愛情は変わらなかった。ホースで水をかけられれば、相手があきらめるまで、びしょ濡れで耐えた。石を投げつけられると、やせた体を足元にすり寄せて許しを請うた。子どもたちを見つけると、ニャーニャーと嬉しそうに走り寄って、頭をすりよせて甘えた。もし抱き上げてくれる人がいれば、すぐにシャツや耳飾りなどを赤ちゃんのように吸い始めた。

そんなある日、アグリーは近所の犬に近寄り、噛まれ、ひどく叩きつけられ、大怪我を負った。部屋にいるとアグリーの叫ぶような鳴き声が聞こえてきたので、私は急いで声の方に向かった。だがアグリーはすでに瀕死の状態だった。

ぐったりと横たわったアグリーの後ろ足と腰はひどくねじ曲がり、胸の皮がめくれ、垂れ下がっていた。家に連れて帰ろうと抱き上げると苦しそうな喘ぎが聞こえた。私はアグリーを余計に苦しめているかもしれないと感じた。

しかし、アグリーを抱き寄せると彼は私の耳たぶを吸いはじめた。アグリーは想像を絶する痛みと苦しみのなかで、死を目前に、私に甘えていた。そして私の手のひらに頭をこすりつけ、片方の金色の瞳をこちらに向け、ゴロゴロとのどを鳴らした。彼は傷つき、激痛に耐えながらも、愛情と優しさを求めていた。

私はアグリーを今まで見た何者よりも美しくて愛しい存在だと感じていた。腕の中で私を噛むことも、引っ掻くことも、逃げだそうともしなかった。ただ私を見あげ、私が彼の痛みを和らげてくれることを信じていた。

部屋に戻る前にアグリーは腕の中で死んでしまった。私は長い間そこに座りこみ、考え続けた。私は崇高な魂や純粋でまっすぐな愛の意味をこれまで自分が理解していなかったことを思い知らされていた。

アグリーは外見こそ傷だらけだったが、心の中には傷も汚れも一切なかった。私の心の中は醜いものだ。この腕の中の小さな野良猫は、何千冊の本やテレビ番組よりも、はるかにたくさんのことを教えてくれた。人を純粋に深く愛すること、大切な人たちを思いやることを教えてくれてありがとう、アグリー。私はずっと忘れない。

多くの人は豊かさや成功、人気、美しさを望む。でも、私はただ「アグリー」のようになりたいと願っている。私がもう少し早くアグリーの内面の美しさに気づいていれば、アグリーは死なずにすんだのに…とそれが今でも悔やまれる。