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トリビア

【織田信長】の隣に描かれる謎の黒人 その正体を知ったとき心の底から驚嘆

2020年8月28日、世界中に激震が走りました。ハリウッド俳優のチャドウィック・ボーズマンさんが43歳の若さでこの世を去ったのです。死因は大腸がん。長く闘病しながらも俳優活動を続けていました。
マーベルのヒーロー・ブラックパンサー役で有名なボーズマンさんですが、それ以外にも、強いリーダーシップで人々を率いる役を多く演じていました。それだけに、世界中の人がその死を悼んだのです。

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しかしそんなボーズマンさん、日本が舞台の映画に主演する予定だったことをご存知ですか?

その映画のタイトルはズバリ「Yasuke」…織田信長に仕えたと言われる、日本初の黒人武士のストーリーです。

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織田信長にアフリカからやってきた家臣がいたという話は、歴史好きな人であれば聞いたことがあるかもしれません。信長が天下統一を夢見て邁進していた時に、イタリアの宣教師ヴァリニャーノが日本に連れてきたのが、そのモザンビーク出身の大男でした。

YouTube/歴史じっくり紀行

身長170センチと、当時としては相当大柄な人物だった信長ですが、そのモザンビークの男は身長約182センチもありました。さらに黒い肌、大きな瞳…今まで見たこともない容貌だったその男を、外国のもの好きだった信長は、ひと目見て気に入りました。こうして、信長は弥助を自分の家臣として引き取ることになったのです。

弥助と名付けられたその大男でしたが、当然、当時の日本ではアフリカ人は非常に珍しく、京都の町では弥助のことを一目見ようといつも大騒ぎだったようです。弥助のいる南蛮寺に、人々が列をなして並んだり、時には寺が破壊されるなんて騒動があったんだとか。

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信長も、当初は弥助が肌に墨を塗っているのだと思い、弥助の肌を洗わせたそうです。しかし何度洗っても色は変わらず、ようやく信長もこの色が本物なのだと知ることになります。

家臣となってからと言うものは、信長は弥助に分け隔てなく接しました。弥助をきちんとした武士として扱い、衣食住も与え、腰刀も授けました。信長の付き人と言ったようなポジションで、弥助をいつも脇に置いていたそうです。大層お気に入りの家臣だったのでしょう。

しかし出会いから1年ほど経った1582年…明智光秀が本能寺の変を起こし、信長が自ら命を絶ったことは皆さんご存知でしょう。

その時本能寺には、森蘭丸や弥助を含む数十名ほどの家臣しかおらず、警護が手薄になった瞬間を明智光秀に突かれたのです。

YouTube/歴史じっくり紀行

弥助は本能寺を抜け出して二条城の織田信忠に異変を知らせますが、信忠も結局自害を選択することとなります。

捕らえられた弥助ですが、光秀は「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもないため、処刑する必要はない」と判断し、弥助は結局南蛮寺に送り返されたのでした。光秀のこの発言は非常に差別的に聞こえますが、実際のところは弥助に同情し、逃してやるための方便だったのではないかと推測する人もいます。

弥助のその後の詳細は分かっていません。故郷のモザンビークに帰ったという説もあれば、九州の肥前藩主、キリシタン大名の有馬晴信に仕えたのではないかという説もあります。これは件の宣教師ヴァリニャーノが、信長に会う前に有馬晴信に謁見しており、面識のあったその大名に引き取られた可能性があるという推測の域を出ません。

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いかがでしたか?異国の地へ連れられてきて、激動の人生を生きた弥助。そんな弥助の人生を演じる予定だったボーズマンさんは生前、木刀で日本風の武道のトレーニングしている姿をキャッチされていただけに、演じることが実現しなくなってしまったのは痛恨の極みとしか言いようがありません。しかし誇り高い人生をまっとうしたという点ではもうすでに心はサムライだったのかもしれませんね。

弥助に関するさらに詳しい動画は以下よりご覧いただけますので、興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。

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