ちえとくをフォローする

アンビリーバボー

決死の覚悟で北極点に挑んだ探検家ナンセン

あなたはどこまで夢を追い求めることができますか?夢を追うことにどんなリスクがあっても、諦めずに突き進んだ人だけが歴史に名を残すことができるのも事実。

ノルウェーの極地探検家フリチョフ=ナンセン(1861-1930)は、間違いなくそのような人物として記憶されています。

ナンセンの夢は「地理上の北極点」に初めて到達すること。地理上の北極点(パク点)とは、北緯90度の地球最北端の地点を指し、当時は前人未到の地でした。

海流学者でもあったナンセンは、北極海を横断する海流があると考え、北極海の探検船を氷上に押し上げ、氷とともに漂いながら、自然の潮流を利用して北極点に到達することを計画しました。ある地点で氷に阻まれて船が止まっても、理論的には氷塊とともにゆっくりと北上することができると考えたのです。

当時、多くの学者や探検家がハンセンの考えを荒唐無稽で無謀な計画だと一蹴しました。

しかし、ナンセンは、ノルウェー政府、公的機関、民間の篤志家を説得し、彼らの資金提供により探検の資金を調達することができました。彼は北極探検のために、氷に挟まれたときに押し潰されずに、氷の上に押し上げられるように底が丸い船を建造させ、その船を「フラム号」(「前進」という意味)と名付けました。

大胆な探検の始まり

1893年6月24日、フラム号はナンセンと12人の仲間、そして5年分の食料を積み、ノルウェーの首都オスロ(当時はクリスチャニアと呼ばれていました)を出発。北極海東部のニューシベリア諸島から北上し、流氷の中に船を進めました。フラム号は予定通り流氷の上に乗り上げ、氷の漂流に身を任せました。

しかし、その後、6週間が過ぎても、何も起こりません。フラム号を運んでくれるはずの氷塊の移動は、あまりにも遅かったのです。進まないどころか南下すらしていることに気がついたナンセンは作戦変更を余儀なくされました。

1895年3月、ナンセンは妻に別れの手紙を書き、助手として選んだフレドリック・ヒャルマー・ヨハンセンと共に、船を降り、たった二人でスキーと犬ぞりで北極点を目指したのです。

氷の世界を犬ぞりとともに

2人の男と犬たちは、北極点までの660kmの距離を移動しなければなりませんでした。マイナス40℃の極寒の世界です。最初は順調に進んでいましたが、だんだん荒れた地形に入り、踏破するのが難しくなってきました。

なかなか前に進めない2人は落胆していきました。ナンセンは日記にこう書いています。「私の指はすべて潰れている。手袋は硬く凍っている…。どんどん悪くなっていく……。私たちがどうなるかは、神のみぞ知る」

ついにナンセンは北極点に到達しても帰還するための十分な食料がないことを悟ります。彼は北緯86度14分まで到達していましたが、極点に向かわず、フランツ・ジョセフ・ランドのフリゲリ岬を目指すことにしました。

生き残るために

途中は飢えとの戦いでした。食料が不足し、そり犬を1匹ずつ殺し、その犬の肉を他の犬に食べさせ、その血で自分たちのためのお粥を作って食べるという極限状態。さらに、後を追ってきた北極グマに襲われ、辛うじて命を取り留めたこともありました。

ようやく氷の縁にたどりついたのは28頭の犬たちのうち2頭のみ。海に隔てられた陸地を目にしたナンセンとヨハンセンは、ソリとカヤックで双胴船1隻を作り、最後の2頭の犬を殺して海を渡りました。

しかし、陸地も氷に覆われています。2人は越冬のため、入江に穴を掘ってシェルターを作り、そこに8ヵ月間にわたって滞在することになります。幸い食料となる獲物は豊富でした。ホッキョクグマ、セイウチ、アザラシなどを捕らえることができました。しかし、最大の敵は退屈でした。心を削られるような退屈に対抗するために、航海の本と航海図を何度も何度も読み直しました。

この旅の仲間2人は旅の始まりから2年弱ものあいだ、ずっと「ミスター・ヨハンセン」「ナンセン教授」とお互いを形式張った呼び方を続けていましたが、1896年の大晦日に初めてくだけた呼びかけをしたと記録しています。

思いがけない再会

寒く暗い北極の冬を乗り越え、二人は旅を再開します。半年後、ナンセンとヨハンセンはある人物と出会います。それはイギリスの極地探検家フレデリック・ジョージ・ジャクソンで、かつてナンセンの航海に参加することを希望したものの叶わなかった人物です。彼は当時、フローラ岬で自身の探検を始めていました。

氷に覆われた世界の果てで、二人の旧友が再会したのです。しばらく気まずい沈黙が続いた後、ジャクソンが長い顎ひげともじゃもじゃの髪の探検家に「ナンセンですか?」と尋ねると、「そうだ、ナンセンだ」という答えが返ってきました。

ジャクソンは、2人の冒険家が無事にノルウェーに帰れるよう取り計らってくれました。なんという幸運でしょう。こうして1000日間の北極探検から奇跡の生還が叶ったのです。

氷の上の極限状態の日々はナンセンの人柄にも影響を与えたようです。ヨハンセンは日記に、ナンセンが探検当初の高慢な態度から、礼儀正しく思いやりのある態度に変わっていったと書いています。

一方、フラム号は、ナンセンに指名された船長オットー・スヴェルドラップの有能な指揮により、3年間も氷の中に閉じ込められた末に、流氷から外洋に出るための操船に成功し、ナンセンとヨハンセンの到着後に無事にノルウェーに戻りました。ナンセンとヨハンセンと乗組員たちは感動の再会を果たすことができたのです。ナンセンの危険な冒険に関わった乗務員たちが全員無事に帰還したことは何よりも素晴らしい出来事でした。

母港への帰還

北極点にこそ到達できませんでしたが、1000日間も氷に覆われた北極圏で壮絶な探検をして生還したことは大いなる偉業です。1896年9月9日、再びクリスチャニアに入港したフラム号は人々の歓呼の声に迎えられました。

しかし、こんな後日談も伝えられています。ナンセンとその家族は国王の賓客として宮殿に滞在することが許されたのに対し、苦難を共にしたヨハンセンは祝宴の場で完全に無視されました。ヨハンセンは日記にこう書いています。「結局のところ、現実は厳しく、私が思っていたほど素晴らしいものではない」

極地探検のパイオニアとして人々に尊敬されたナンセンは、その後、政治家になり、世界の平和と難民救済に尽力したことでノーベル平和賞を受賞しています。

出典:wikipedia
プレビュー画像:© Facebook/uest.lt