考えさせられる
アメリカの中学の歴史の授業 「原爆を落としたのは正解か」の議論 唯一の日本人が教室で発言したときの周囲の反応に心揺さぶられる
1945年8月9日は、日本人の心に消えない傷跡として深く刻まれている日です。そう、長崎に日本で2つ目の原子爆弾が落とされた日。快晴無風の美しい一日は、一瞬にして地獄へと化したのです。
唯一の被爆国である日本では、子供たちは戦争は決して繰り返してはいけない過ちであると厳しく言い聞かせられて育ちます。かたや、アメリカの学校ではどのように教えられているのでしょうか?
アメリカ人の多くが「原爆投下は過ちだった」と認める一方で、「原爆投下があったからこそ戦争を終結させることが出来た」と言う声がちらほら聞かれるのも事実です。
今回紹介するのは、中学時代をアメリカで過ごしたある日本人女性のエピソード。2020年にTwitterに投稿され、13万を超すいいね!がつくなど、大きな話題を集めました。
(画像はイメージで、ツイート主さんとは一切関係がありません)
実際にその一連のツイートをご覧ください!
*長文 この時期になると、中学2年生の時に歴史の授業で「原爆を落としたのは正解だったか否か」のディベートがあったことを思い出す。大抵の場合アメリカ的には原爆を落としたからこそ戦争が終わったという的なことを大抵教えられ、クラスで陰キャで意思表示を上手くできなかった私はほとんどの生徒と
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
「同じ意見です」と言う準備をしてた。当時アメリカで育ったただの大人しい中学生だったし、教科書も原爆についてよりホロコーストについての方が多く習った。ふと自分の番が来る前に教科書をまた見た。そこには原爆にあった人(子供?)の経験と思いが綴られた手紙の写真があった。このクラスで日本人は
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
私だけだ。私だけがその手紙の内容を読めた。そしてその内容を読んでいるうちに、ものすごく心が重くてなって、息苦しくなり自分の番がきても口が開けなくなった。唯一の日本人の私の意見を聞こうと先生も周りもみな黙ったままだった。世界でひとりぼっちのようだった。みんなが見てる。なにか言えよ!
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
と頭ではわかっているのに、手紙の内容がリフレインして考えがまとまらなかった。あつい。あついよ。勇気を振り絞ってようやく出せた言葉は「わからない」だった。「最初は私も、みんなと同意見でした。日本人だけど親戚に被爆した人がいるわけでもないし、過去のことだし、まだ戦争のこととかよく
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
わからないし…でもこの手紙、私だけがこの手紙の内容を読める。これを読んで、どうしても原爆を落としたことが「正解だった」とは言えない…」的なことを言ったと思う。もっと何か言ったかもしれないが覚えていない。頭がぐわんぐわんしてた。涙がじわりと出てきた。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
やってしまった、と思った。泣くな、泣くな!!!これ以上奴らに恥を見せるな!と言い聞かせたけど涙が何故か止まらなかった。これでまた理屈責めを受けるんだろうと目を瞑った。そしたら隣の席の人がいきなり「私の意見を前言撤回します!」と言い出した。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
「私もさっきまではアメリカがしたことが正解だと思っていましたが、今のリサを見てみて相手の立場の目線にも立つべきだと思います!」と言ってくれた。驚いた。え?とびっくりしていると周りもどんどん「同じくです!訂正します。」「そもそもこの教科書の内容は一方的すぎでは?」「他に違う方法があ
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
ったんじゃないでしょうか?」「異議あり」とディベートが再熱し始めた。私は何も言えなかったのに、その言えない思いを汲み取ってくれた当時13歳ぐらいのアメリカ人の同級生達。さすが自立性を重んじる学校だなぁすごいなぁ…と放心した。その議論の内容は覚えていない。頭がずっとあつかった。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
涙も収まった頃に先生「辛いことをさせてごめんなさい。でも先生も着眼点を変えるわ。気づかせてくれて有難う。」とハグされた。その時はぁ?と思ったが(ひねくれキッズだったので)その後、先生がこの授業でこのディベートをする度に私の話をするらしい。嬉しいような複雑のような。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
当時(中学生にこんな重い質問すんなよ!!)と思っていたが、今思うと大事なことだったなとしみじみ思う。次世代に希望が持てた瞬間だった。このことに関していつも漫画にまとめようとするけど上手くいかないので文字にしました。こういう経験があったよという話です。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
ちなみにうろ覚えですが手紙(おそらく青年?)には震えた文字で燃え上がった街の情景と絶望の気持ちと「あつい。あついよ。お母さん。」的なものが書いてありました。亡くなられる前か火傷をした後に書いたものだと思われます。文字の内容ではなく読んだ時の感情しか覚えてないです。すいません…
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
母校について。私が通っていたのは芸術学校(&進学校)で、何より生徒の個性、自立性、柔軟性に重心を置いていてテストよりディベートとプレゼンが多いような所でした。LGBTQフレンドリーで政治にも熱い生徒たちも多く、先生達も中見も外見も柔らかい人達だらけでした。誇りに思います。先生達元気かな。
— Lisa Kogawa (@lisakogawa_) August 7, 2020
過去は消えません。しかし、いつまでも責任のなすりつけあいをしても前に進めないことも確か。重要なのは、過去を知らない、まっさらな目を持つ子供たちに、共に生きていくために大切なことは何なのかを考える機会を与えることなのではないでしょうか。
子供たちは、偏見を持たない、純粋な心で、きっとそれに応えてくれるはず。このエピソードが、それを証明しています。
プレビュー画像: / © Facebook/ Kasumi Atsusaka

