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すごい人たち

マイナーだけど偉大な歴史的人物13人

伝記には歴史上の偉人や並外れた人生を歩んだ人々がたくさん登場します。でも、歴史上には、伝記にピックアップされないけれど、魅力的で波乱万丈な人生を送った人や、私たちの生活に大きな影響をもたらした人が多く存在しています。

インターネットプラットフォームredditで、「歴史上であなたが本当に印象的だと思う人物はだれ?」という質問に多くの人がマイナーな人物を挙げています。

この記事では、歴史に名を残す偉業を達成したけれど、意外に知られていない偉人13人の人生をまとめてみました。

みなさんは何人知っていますか?

1. シモ・ヘイハ(またはシモ・ハユハ)

シモ・ヘイハは別名「白い死神」と呼ばれたフィンランドの凄腕スナイパーです。、第二次世界大戦中に活躍し、その射撃能力はまさにリアル・ゴルゴ30。

零下30度の極寒のなか、口の中に雪を詰め、息が白くならないようにして森に潜み、小隊を殲滅させた、というエピソードはフィンランドでは有名。戦闘で下顎を撃ち抜かれ、顔が歪んでしまいますが、94歳まで生きました。

2. クリストファー・リー

クリストファー・リーは、ドラキュラや『ロード・オブ・ザ・リング』のサルマンを演じた俳優として多くの人に知られています。しかし、彼自身、映画になってもおかしくないような激動の人生を送ったことはそれほど知られていません。

経済的な理由から大学を中退したリーは、開運会社に就職し7ヶ国語を話せるようになります。第二次世界大戦中は、その語学力を認められて英国空軍でスパイとして活躍。その後の俳優としての活躍ぶりはご存知の通り。ギネスブックには世界で最も多くの映画に出演した俳優として記載されています。さらには、俳優として活躍しながら、オペラ歌手の訓練を受け、数枚のメタルアルバムをリリースしています。

3. ヘディ・ラマー

へディー・ラマーは米国の女優で発明家。1930年代から50年代に映画スターとして成功を収める一方、連合国軍で使用される魚雷の無線遠隔操作システムを開発しました。このアイデアは現代のBluetoothやWi-Fiの基礎となりました。2000年に85歳で亡くなりましたが、2014年、全米発明家殿堂入りを果たしています。

4. ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラは、セルビア系アメリカ人の発明家、物理学者、電気技師。26カ国で280件以上の特許を取得し、8カ国語に堪能で、写真的な記憶力を備えた天才と言われています。磁束密度の物理単位、月のクレーター、そして、イーロンマスクのTesla 社の社名は彼の名前にちなんで命名されているんです。さらに、セルビア出身のテニスの世界的プレーヤーであるジョコビッチもニコラ・テスラを尊敬しており、愛犬の名前は「テスラ」です。

5. ジュリア・チャイルド

ジュリア・チャイルドは、アメリカの料理研究家。フランス料理の複雑さと技術をアメリカのテレビ番組で紹介してきました。第二次世界大戦中、彼女はアメリカの機密インテリジェンス部門に勤務し、アメリカの水中爆破装置へのサメの接近を抑止する装置を開発しました。フランスのレジオン・ドヌール勲章、アメリカの自由勲章、多数の大学から名誉博士号を授与されています。

6. ヤヌス・コルチャック

ヤヌス・コルチャックは、ポーランドの小児科医、児童文学作家、教育者。第二次世界大戦中、ワルシャワのゲットーでユダヤ人孤児のための施設の責任者を務めました。ナチスが孤児らの強制収容所移送を通告すると、彼は子どもたちと一緒にいることを選び、自ら収容所に入ります。最終的には子どもたちが孤独に死なないようにガス室まで同行し、殺害されました。

7. ネリー・ブライ

ネリー・ブライは、19世紀後半、調査報道のパイオニアとなった女性です。当時、悪名高かったニューヨークのブラックウェル精神病院での患者への虐待を明らかにするため、自らそこに患者として潜入。その調査結果を出版した本はベストセラーとなりました。他にも、ジュール・ヴェルヌの足跡をたどる80日間の世界旅行、第一次世界大戦中の東欧戦線の取材などジャーナリストとして名を馳せるとともに、労働者の権利や婦人参政権を獲得するために戦い続けました。

8. ジョー・メディシン・クロウ

ジョー・メディシン・クロウは、クロウ族の最後の酋長であり、酋長の称号を持つ最後のネイティブアメリカンです。彼は、第二次世界大戦で米国スパイとして働き、ナチス親衛隊から50頭以上の馬を盗みました。その後、歴史家、人類学者として、執筆や講演活動を続け、2016年、102歳で亡くなりました。

9. ブーディカ

女王ブーディカは現在のイギリス、ノーフォーク地域を収めていたケルト人イケニ族の女王。ローマ帝国によるブリテン占領の初期に、ローマ軍は夫のプラスタグスの死に乗じて、未亡人となったブーディカを虐待し、娘たちを強姦しました。ブーディカは革命を呼びかけ、部族を率いてローマ軍に対抗し、多くの集落を焼き払いました。

10. ジョナス・ソーク

ジョナス・ソークは、米国の医学者で、ポリオ(小児麻痺)ワクチンの開発者です。ワクチンの特許の所有者について問われた彼はこう答えています。「まあ、国民と言うべきでしょう。特許は存在しません。だって太陽に特許はありますか?」

このワクチンにより、アメリカでのポリオの蔓延は、あっという間に5分の1にまで減少しました。現在では、この病気はほぼ根絶されています。

11. テオドラ

テオドラは6世紀の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。踊り子(女優)として活躍するなか、ユスティニアヌスに一目惚れされ、彼の妻になりました。才気豊かでたくましい女傑テオドラは国政にも関与し、皇帝も彼女を共同統治者として扱いました。532年の「ニカの乱」で退位寸前に追い込まれた夫に「帝位は最高の死装束である」と叱咤激励し、軍の士気をあげ、鎮圧に成功したというエピソードが有名です。

12. アラン・チューリング

アラン・チューリングはイギリスの数学者、暗号解読者、コンピュータ科学者。現代のコンピュータ技術の理論的な基礎の多くを作りあげ、第二次世界大戦中はドイツのエニグマの解読に貢献しました。

しかし、こうした功労にもかかわらず、彼は同性愛者であることを理由に逮捕されます。当時英国で同性愛は違法だったのです。彼は入獄を避けるため、女性ホルモン注射の投与を受け入れました。その結果、彼は深い抑うつ状態に陥り、2年後に自ら命を絶ちました。

13. キエフのオリガ

聖オリガ(キエフ大公妃)は945年から960年まで、古代東スラブ帝国のキエフ・ルーシの摂政を務めました。オリガについては、夫イーゴリ1世が敵のデレヴリャーネ族に殺されたときの何段階にもわたる復讐劇が有名です。

夫を殺害したデレヴリャーネ族の王子が、争いを避けるためオリガとの結婚を提案すると、彼女は交渉にきた使者たちを穴に投げ入れ、生き埋めにしました。さらに、彼女は結婚に応じるふりを続け、もっと高位の代表団を送るように要求します。そして訪れた代表団を浴室に閉じ込め、火を放ちました。最後に、彼女はデレヴリャーネの有力貴族を一人残らず惨殺したうえで、その本拠地イスコルステを焼き払いました。壮絶ですね。

その後、彼女は摂政として税制改革に取り組みながら国を統治し、969年にこの世を去ります。

波乱万丈の人生を送った歴史上の人物たち。もっと知られてもいい人物ばかりです。

出典:boredpanda
プレビュー画像:©Facebook/Amunisi Sniper