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ミステリー

首狩族に魅せられ帰らぬ人になった財閥御曹司マイケル・ロックフェラーの謎

ジョン・ロックフェラーは、19世紀後半に世界初の億万長者となった実業家。現在まで続く 巨大財閥と莫大な富を築き上げ、98歳まで長生きしました。

そんな彼の曾孫にあたるのがマイケル・ロックフェラー。将来有望なロックフェラー家の御曹司でしたが、23歳のときに未開の地で消息を絶つという謎めいた最期を迎えました。

マイケル・ロックフェラーは1938年ドイツに生まれました。米ハーバード大学で民族学を専攻し、兵役の後、当時のオランダ領ニューギニアで首狩りと人肉食で知られるアスマット族の彫刻などを買い付けるため調査隊に加わりました。父ネルソン・ロックフェラーがマンハッタンで開館した「プリミティブ・アート博物館」に展示する美術品を収集するためです。

調査隊との探検が終った後も、マイケルの未開部族への興味は尽きません。23歳の時に、ルネ・ワッシングというオランダ人人類学者とともに、独断でニューギニアを再訪することを決めました。

この写真はマイケルが遺した写真で、調査隊の一員として彼がアスマット族と交流している様子が写されています。

1961年11月、マイケルとルネは12メートルの双胴船に乗って、現地に赴きました。しかし、スコールが起こり双胴船のエンジンが止まり、船は転覆。マイケルとレネはほぼ1日半、なすすべもなく水面に浮かんでいました。泳ぎが得意だったマイケルは泳いで助けを呼びに行くことを決意し、レネに「何とかなりそうだ」と言い残し、岸に向かいます。

レネはその翌日、アスマットに近いニューギニア沖のアラフラ海で発見され救助されます。一報を受けたマイケルの父ネルソン・ロックフェラーは直ちに現地入りし、大規模な捜索を行いますが、マイケルの姿はどこにもありませんでした。

ロックフェラー家の御曹司マイケルの消息についてはいくつかの説があります。

ロックフェラー家ではマイケルの死から3年後に、彼は海難事故で溺死したと発表しています。もちろんその可能性もあります。しかし、マイケルは泳ぎがうまく、海は穏やかでした。

一方で、現地を調査した人の報告から、彼がアスマット族の人食い部族に食べられたという説が広まっています。当時、アスマット族ではまだ人肉食の風習が残っていました。果たして、疲れ切って岸に泳ぎついたマイケルは、原住民の餌食となったのでしょうか?

この説に関しては、失踪事件から50年後に現地を訪れ、アスマット族とともに暮らし、聞き込み調査をしたカール・ホフマンが本を執筆しており、現在では多くの人がこの説を信じています。

その他にも、溺死説やクロコダイルに捕食されたという説もあります。海の上で1日半以上も転覆した船にしがみついて、既に体力を消耗していたため、泳ぎが得意であっても溺れてしまった可能性は十分に考えられます。

もう一つの不気味な仮説は、マイケルの失踪から8年後となる1969年に撮影された写真に基づくものです。噂の発端となったのは、アスマット族に関するドキュメンタリーの一環として、部族のメンバーがカヌーに乗っているところを撮影したこの写真。

写真家のマルコム・カークは、自分が撮影したこの写真について、「明るい肌の人がカヌーに乗っていることには気づかなかった。しかし、この数週間前にアルビノの男について話題に出たのを覚えている」と述べています。

このドキュメンタリーの中で、マルコムは「髭を生やした白人が、裸のアスマット族の戦士たちでいっぱいのカヌーを漕いでいるこのショットは、答えではなく、新たな疑問を生じさせる。しかし、この写真の男が、髭を生やした熟練カヌーイストであるマイケル・ロックフェラーに似ているのは確かだ」と語っています。

この謎は今後、解明されることはないのでしょうか?

皆さんは、マイケル・ロックフェラーは失踪の後、どんな運命を辿ったのだと思いますか?人食い部族に食べられたのでしょうか?それとも、上の写真に写っている男はマイケルで、彼はアスマット族に加わったのでしょうか?あるいは、やはり単に溺れただけなのでしょうか?

出典:unilad
プレビュー画像:©Twitter/@qgooddays