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スポーツ

オリンピック開会式で抱き合うシリア出身の兄弟  彼らの真実に感動が胸に押し寄せる

コロナ禍で開催された今回のオリンピックは、開会前から開催中まで賛否両論でした。しかし始まってみれば日本は過去最高のメダル獲得数となり、競技に参加する選手たちの姿は私たちに感動をもたらしてくれるものでした。また、海外選手たちがSNSでシェアした日本への数々の感謝の言葉に胸を熱くしたという方もいるのではないでしょうか。

そんなオリンピックでしたが、みなさん開会式で注目されたこの兄弟の事を覚えているでしょうか。シリア代表のモハメド・マソ選手と難民選手団のアラア・マソ選手です。

 
 
 
 
 
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当初ネットでは、シリアの内戦で生き別れた兄弟が、オリンピック開会式で再会したと言われていました。しかし、実際はそうではありませんでした。

2015年、激化するシリアの内戦に兄弟は、故郷のアレッポを脱出する事を決意したと言います。トライアスロン選手の兄モハメドと競泳選手の弟アラアは共にオリンピック出場を目標にしていましたが、内戦は激化する一方で、爆風が響く不安な日々の中、ついに練習は打ち切り状態になってしまったのです。

 
 
 
 
 
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「きっと内戦は終わる」そう希望を持ちつつも内戦が勃発してから2年経った2015年にモハメドは父に対し、(危険から)故郷アレッポを去らないといけない、と告げたそうです。そして22歳だったモハメドは15歳のアラアとアレッポを後にしました。その日以降、彼らはスマホアプリなどを通じて家族とコンタクトを取ることができるものの、直接彼らと会うことはできていません。

故郷を後にした2人はゴムボートに乗り、まずはトルコへ、そしてギリシアへと渡りました。それから、バルカンルートと呼ばれる東欧諸国を経てオーストリアを経由してドイツへたどり着きます。その時彼らが持っていたのは、競技用品を入れたリュックサックのみ。ドイツ到着から12日後、当初目指していたオランダについに到着を果たしました

それからは、スポーツが2人を導いてくれたと言います。兄弟はオランダに滞在し、多くの人のサポートを経てトレーニングを再開しました。しかし、8ヶ月後最初に難民登録をしたドイツに戻らなくてはならず、兄弟はドイツでの暮らしをスタートすることになりましたが、ドイツでも無事に所属する競技団体を見つけることができたそうです。

 
 
 
 
 
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戦禍を逃れ諦めずに前を向き続けた兄弟は、周囲のサポートもありオリンピックへの道のりを再び歩み始めました。ヨーロッパへ逃れてきた当初は、家族や友人、学校での学業、住む家と言ったこれまでの暮らしを全て失い、ゼロからのスタートでとても厳しい日々だったそうですが、そんな時もスポーツが兄弟を支えてくれたと言います。

 
 
 
 
 
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それから6年後、兄弟はついに幼い頃から夢だった、オリンピックに一緒に出場するという夢を東京で叶えたのです。開会式での抱擁は、共に夢を叶えた事やこれまでの厳しい日々を振り返り万感の思いが溢れた瞬間でした。また兄のモハメドはコロナの影響により住んでいたドイツから練習の拠点をオランダに移していたことから、2人は8ヶ月ぶりに開会式で再会することができたそうです。

 
 
 
 
 
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7月25日、モハメドはトライアスロンレースに出場し、47位でゴール。酷暑の中で行われたレースで見事完走を果たしました。

 
 
 
 
 
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その後、夢の舞台を走り切ったモハメドの元にさらに嬉しいニュースが入ってきます。コロナ禍でのオリンピック規定では、選手たちは競技2日後には東京を後にしなくてはいけませんでしたが、弟アラアの競技終了まで東京に滞在をすることが特別に許可されたのです。荷物をまとめて空港へ向かう途中の出来事でした。

そしてモハメドが見守る中、アラアは男子競泳自由形50Mに難民選手団の選手として出場。

 
 
 
 
 
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決勝出場は叶いませんでしたが、その表情は幼い頃からの夢を叶えた満足感で満ち溢れていました。

 
 
 
 
 
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今回のオリンピックでモハマドがシリア代表、アラアが難民選手団として出場しましたが、当初アラアもシリア代表での出場を望んでいました。しかし、諸問題からシリア代表として出場することが叶わなかったそうです。アラアはその後、IOC難民アスリート奨学金を受けられることになり、今年の6月に東京オリンピック難民選手団の選手として正式に選出されたのです。

 
 
 
 
 
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難民選手団は、世界中の難民にとっての希望の象徴となると共に、国際的な難民危機の規模についての世界的な知識と関心を高める役割を果たす、として2016年に開催されたリオオリンピックから発足しました。

アラアは、難民の人々たちが夢を持ち叶えることができると言うことを世界に見せるためにも選手団の存在は非常に重要であるとし、オリンピックへの出場は全ての難民を代表することであり、誇りであると語っています。そして他の難民の人々へ向けてアラアは力強くメッセージを送っています。

「自分自身を誇りに思って。あなたたちは(困難を乗り越えている)サバイバー。負けないで。」

故郷を離れ、オリンピックへの夢を抱き困難な日々を乗り越えてきたマソ兄弟。二人は、夢があったからこそ、スポーツがあったからこそ、この6年間で大切な人々に出会うことができ、自分たち自身を支えることができたと語っています。

 
 
 
 
 
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兄のモハメドはトライアスロンの競技終了後、テレビ局のインタビューで自分がこうして夢の舞台に立てたことを誇りに思うと語ると同時に、彼らのホスト国となったドイツに心から感謝していると答えていました。

 
 
 
 
 
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壮絶な過去を乗り越え、夢を叶えたマソ兄弟。2人は今、3年後のパリオリンピックを目標に再び歩き始めているそうです。

なお、国連UNHCR協会のHPでは、国連難民高等弁務官事務所の活動など難民に関する様々な情報が紹介されています。

プレビュー画像:©︎Instagram/momasotri