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母親を恐れていた4人の子供たち。大人になってから母親に伝えたかったことは一つしかなかった。

子供の頃、あなたにとって母親とはどんな存在でしたか?大人になって親もとを離れてみて、あるいは自身が親になったときに初めて親のありがたさを知ったという人は少なくありません。今回紹介する手紙は、大人になった娘が母親に宛てて書いたものです。子供の頃の彼女にとって、母親は厳しく「いじわる」な存在でした。

「ママは史上最悪のいじわるだった。他の子供たちは皆、朝食に甘いものを食べることを許されていたのに、私の朝食はいつも決まっておかゆと卵、それかトーストだった。

Beautiful breakfasts at Villa D'aversa in Broadway Market

他の子供たちがソーダやキャンディーを買い食いしていたとき、私はママが作ってくれたサンドイッチをかじるしかなかった。夕食も決して楽しい時間ではなかった。唯一私を救ってくれたのは、一人ではなかったということ。妹と2人の兄も、私と同じいじわるな母親の子供たちだった。

Angry child

外に遊びに行くときには行く場所を正確に伝えるまで出してもらえなかったし、帰宅が一分でも遅れると叱られた。そして私たちはいつもシワひとつない清潔な服ばかり着させられ、毎日お風呂に入れられた。節約のためにママが作った手作りの服を皆揃って着ていたものだから、他の子供たちによくからかわれた。

ママはとにかく細かかった。夜中まで夜更かしても、次の日の朝は必ず8時前には起きていなければならなかった。

Scared Child

平日でも休日でも皿洗い、掃除、料理、さまざまなことを教え込まれた。ママはもしかしたら次の日に子供たちをいじめる方法を夜な夜な考えているのではないかと、ときどき私は想像していた。

Dishes On St. Paddy's Day (Green Hat, Nels' Choice)

ママは私たちに、いつも真実だけを包み隠さずありのままに告げることを求めた。たとえ、それが美しくない真実であったとしても。

私たちがいくら成長しても、状況は改善されることはなかった。他の子供たちがしていたように仮病で学校をずる休みすることも許されなかった。

私たちは休まず学校へ行き、なおかつ良い成績をとらなければならなかった。ママには何事においても全力を尽くすことを求められた。

homework

何も変わらず、そのまま月日は流れていった。学校では馬鹿にされることが多かったけど、私たちはそれを無視するようにしていた。卒業後もママは私たちのことを放っておいてはくれなかった。そして、本当にとんでもない結果をもたらしてくれた。兄妹の内2人は大学に進学し、私たち4人全員とも警察の世話になるなんてことは無かった。全て、いじわるなママのおかげだった。

学校の友だちがやっていた楽しいことや面白そうな遊びには参加できなかったかもしれない。でも、おかげで割とまともで誠実な大人になることができた。

そして今私は、自分の子供たちに同じ経験を与えてあげようとしている。子供たちに「ママはいじわるだ」と言われると何だか私は誇らしげな気持ちになる。自分が世界一いじわるな母親になれたという事実に、思わず微笑みたくなってしまうことがあるの!

ママ、ありがとう!」

大人になってから母親に感謝の気持ちを伝えたことはありますか?