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スポーツ

アンフェアなファウルを取られピンチの日本代表 しかし救ったのは20歳になったばかりの青年だった

多くの波紋を広げつつも開幕した東京オリンピック2021。

そんな中で、多くの観客をすでにすっかり魅了してしまった青年がいます。

7月22日、東京五輪の男子サッカー、U-24日本代表は南アフリカと激突。

真偽性の疑わしいファウルを取られ、日本は窮地に立たされていましたが、そこで日本を勝利へと導くゴールを放ったのが、彼でした。

20歳になったばかりのそのサッカー選手の名前…

久保建英(たけふさ)選手です!

この左足から放たれたシュートあまりの巧みさに、日本のメディアはもちろんのこと、スペイン紙もこう書き立てました。

「元オランダ代表のレジェンド・ストライカー、アリエン・ロッベンを思い起こさせる」…そう手放しで大絶賛したのです。

そんな久保選手ですが…

サッカーファンであれば、その存在を10年以上知っているに違いありません。

なぜなら彼は、かの有名なスペインのサッカーチームFCバルセロナの下部組織に9歳の時に入団して、天才サッカー少年と呼ばれていた人物だったのですから。

サッカー選手になるという夢を信じ、母親、そして歳の離れた弟と共に、9歳の時にスペインに移住した久保選手。

言葉の壁や文化の違い、そしてフィジカル面での課題に苦しみながらも、着々と成長を続けていきました。

しかしすべてうまくは行きませんでした。

2014年4月、18歳未満の外国人選手獲得・登録でFCバルセロナの違反が発覚し、その対象選手のひとりだった当時12歳の久保選手は、FIFAの規定によりなんと4年間の公式戦出場停止処分を科せられてしまったのです。その結果、翌年の2015年3月には退団を決意し、 傷心の中日本へ帰国することを余儀なくされてしまいます。

帰国後は心の傷から、練習に行くことすらつらくなったと言います。さらに言えば、サッカーのスーパーエリートとは言え、今度は逆に日本への適応に苦しみ、いまいち活躍できない時期が続きます。

しかしそこで終わる久保選手ではありませんでした。

確かに一時は、「終わった天才」のように扱われた時もあったかもしれません。それでも、決して夢をあきらめませんでした。

日本のクラブチームで着実に活動を続け、そして2019年にはスペインの強豪レアル・マドリードへの移籍を果たします。随所で好プレーを見せ、その後もスペインのクラブを転々としながら、腕を磨き続けてきたのです。

そしてついにその時が訪れます。

2021年、東京オリンピックのU-24代表メンバーに選出された久保選手は、その左足でゴールを打ち込み、日本を勝利に導きました。長年海外でもがき、成長し続けた青年が、ついに日本を背負って立つプレーヤーとして成長した姿を、感極まって見ていたサッカーファンも多いのではないでしょうか。

これだけの人生経験をくぐり抜けてきた天才は、なんとまだ若干20歳。そこにままだ終わりのない伸び代が見えます。

暗いニュース続きだったオリンピックを明るく照らしてくれた久保選手の快進撃は、今始まったばかりなのかもしれません。

プレビュー画像:  / © Twitter/isiyosinori