感動
阪神・淡路大震災で婚約者を亡くしたある自衛官のツイート
1月17日は、多くの日本人にとって、忘れることのできない日です。
それは、阪神・淡路大震災が起こった日だからです。1995年1月17日の出来事でした。
近畿圏の広い地域が被害を受け、特に震源地に近かった神戸市の市街地には壊滅的な被害をもたらしました。テレビで見た悲惨な光景を強く記憶しているという人もいるでしょう。中には、実際に被災された方もいるかもしれません。
それから27年の月日が経った今でも、人々の心には依然消えない傷跡が残っています。
今回紹介するのも、あの日、婚約者を亡くしてしまった、ある元自衛官の方のツイートです。
実際にそのツイートをお読みください。
あの日から27年。
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
今日は婚約者とお腹の中の子供の27回目の命日。
来月に入籍しようなって言った矢先の出来事で、前の晩にファミレスで食事してアパートまで送った時が彼女を見た最後だった。
俺は27歳の2曹だった。
そんな俺もついに去年定年退官した。
あっという間に27年が過ぎた。
あっという間だった。
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
年数たつにつれて楽しかった事ばかり思い出してしまう。
幼稚園の先生しててね
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
子供に人気の先生だった。
あの朝、勝手に駐屯地を出て駆け付ける訳にもいかず
それに彼女のアパートのすぐ前が消防署だし大丈夫だろうと思ってた。
しかしその消防署も倒壊したのは後で分かった。アパート燃えてしまった。助からなかった。
どうしようも無かった。
駐屯地では営門まえに車両並べて待機。ひたすら待機。一向に出動命令が出ないもどかしさ。
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
時間おうごとにラジオニュースでは数十人単位で増える犠牲者数。
携帯電話が無い時代。
ポケットベル鳴らしても返信なし。
駐屯地に帰ってこれたのは2週間たってから。
そこでやっと安否が
分かった
11年前は東北に行った。
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
その時みた在地部隊の隊員の苦しさ、辛さが俺にはよく分かった。
彼ら自身も被災者だが家族から離れ部隊に。個より公を優先した。
彼らは頑張った。任務優先で頑張った。
助けを待ってる人が居るから。
https://t.co/T2rv8nBVNP
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 17, 2022
でもね
本当は自衛隊が感謝される状況にならないのが一番良い。無駄に訓練だけしてるのが一番良い。
何も起きず過ごすのが一番良い。
なんか今夜は感傷的になってしまった。
明日から
いつもの馬鹿なヲヤジに戻ります
「あの日から27年…」そんな言葉から始まる一連のツイートをしたのは、元自衛官のもう軍曹にあらず(@TaiekiGunsou)さん。
ツイート主さんは、阪神・淡路大震災が起きた時、自衛官でした。ツイート主さんは、自分の子を宿した婚約者の方を震災で失ってしまった経緯を赤裸々に語っています。自分の任務があり、婚約者の方が亡くなったということを知ったのは、地震から二週間経ってからのことでした。
時は流れ、27年後の2022年1月17日。ツイート主さんは見事に務め上げ、昨年定年退官されたそうです。しかし、どれだけの歳月が流れようと思い出すのです、あの日のことを。
このツイートには多くの反響が寄せられました。その翌日、ツイート主さんはその反響を受けて、さらに言葉を付け足しました。
夕べの心の呟きに
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 18, 2022
こんなにも多くの人達から賛同されるとは思ってませんでした。
ありがとうございます。
27年前
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 18, 2022
マトモな有事法制もなく身動き取れなかった自衛隊でした。
今では法整備も進み現場判断で出動できるまでなりました。
少しずつですが進歩してます。
思えば当時は
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 19, 2022
派遣初期の段階では重機や大型機材等の数が全く足らず
スコップ、ツルハシ、バールなど貧弱な装備しか有りませんで
ほとんど手作業でした pic.twitter.com/TLOHvLZmUO
数々の教訓から今では大型油圧機材や専用ツールなど
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 19, 2022
有効な装備が充実してきました。
ヘリから映像転送も出来るように。
陸海空自衛隊・消防・警察と合同訓練を繰り返し互いに連携を取れるようになりました。
ずいぶんと進歩しました。
YouTubeに
— もう軍曹にあらず (@TaiekiGunsou) January 20, 2022
東日本大震災の自衛隊の活動を記録した動画が有りました。
1時間半の長い動画ですが克明な記録です。https://t.co/6efHaLAQI2
(津波映像あるので注意して下さい)
ツイート主さんの一連のツイートには、「自分も似たような経験をした」という方から、「自衛隊の方に敬意を表します」というような人まで、多くの共感が寄せられています。
Twitterの人々の反応
お疲れ様です。
— 陸曹長 (@shoutai_rikusou) January 17, 2022
27年たちましたね。
あの大震災では6千4百の同じような悲しい出来事が有りましたね。
街も今ではすっかり綺麗に変わりました。
当時、自分は加古川で高校生してました。
あの時の自衛隊の活躍を見て自分も自衛官になろうと決めました。
必ずしも自衛隊が好かれていたとは言えない時代だったと思います。
— ぢょう (@0cEjKr39gMRiUGf) January 18, 2022
今は国民から認められる存在になったのは、震災で公のために自身のことをかえりみず汗と涙を流して全力で立ち向かってくれた自衛官がいたからだと思います。長きにわたる自衛官生活、お疲れ様でした!
言葉もありません。
— クロノスⅡ (@JLOQ2iFAUVpxOVP) January 18, 2022
ただ、これだけは言っておきます。
本当にありがとうございました。
私は中学2年で剣道の寒稽古の真っ只中でした。
— よしひろ (@yoshihiro311) January 18, 2022
怖かったですが小さな小学生たちを必死になって安全な場所に連れて行ったのを覚えてます。
その後TVで一生懸命活動している自衛官が心から感動し私の中で尊敬の対象になりました。そして自衛官になりました。
私も27歳。父親は元自衛官(54で定年してもう67)。ずっと自衛官の父が自慢で格好良くて、私も自衛官になりたいと思ってました。
— えむ。1y1m(10m)& 2y (@g2_3g2_3) January 18, 2022
高校生で東日本大震災を経験し、災害派遣に行った自衛官が自殺した(おそらくPTSD)ことを知って、父が心を病むことなく退職できていたことに安堵しました。↓
自衛官という仕事を理解していなくて、定年の時に父には伝えることができませんでした。
— えむ。1y1m(10m)& 2y (@g2_3g2_3) January 18, 2022
お疲れさまでした。ありがとうございました。自衛官の父が自慢です。大好きです。ゆっくり過ごしてください。
(個人的に、陸自の制服は以前のほうが好きなのですが、どうにかなりませんか…🤔?)
いかがでしたか?
婚約者を失ってしまってもなお、任務に当たり続け、最後まで務め上げたツイート主さんには敬意を抱くと同時に、胸が痛む思いです。
1月17日、どうかこの日を忘れないようにしましょう。これだけ大きな被害があったということ、そして同時に、身を呈して私たちを守ってくれた人々がいたということを。
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プレビュー画像: ©Twitter/TaiekiGunsoui