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えらい

彼に奥さんが2人いるとは誰も信じなかった。51年後、彼自身信じられなかった。

戦争や政治体制が人を分かつことは非常に悲しいことです。日本では「クラウディア最後の手紙」やTVドラマの「遥かなる約束」で知られていますが、ロシアでもこの心温まる愛の話は感動を呼んでいます。

軍人だった蜂谷彌三郎さんは1940年に陸軍病院で看護婦をしていた久子さんと結婚し、その後民間人として朝鮮半島に移り住みました。

YouTube/Full Picture Documentary

しかし終戦後蜂谷さんは元軍人であったためソ連にスパイ容疑をかけられ、妻の久子さんと生き別れになってしまいました。自分には罪もないのに強制労働10年の判決を受け、マガダンの強制労働収容所に収容されました。以下の写真は他の収容所が博物館として保存されている例ですが、特にマガダンの収容所は気候などが厳しいことで有名でした。

flickr/whatleydude

同じ頃、結婚して息子もいたクラウディア・ノヴィコヴァさんも横領の罪をかけられ、強制労働で投獄されてしまいました。彼女は収容所で「地獄のような」経験をしました。

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そのような似たような境遇にあった二人は、ブリャンスクにあった再定住キャンプで知り合いました。60年代前半にクラウディアさんはアムール州の小さな村プログレスに移り住みました。そして蜂谷さんはクラウデイアさんから手紙をもらい、また再度シベリアを横断して一緒に住むことになりました。その後すぐ二人は結婚しました。

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蜂谷さんは理髪師や写真家として働きます。トマトやキュウリも作り、細々と生活するながらも、とても幸せでした。二人は強く愛し合っており、死ぬときは同じ日に死のうと誓っていました。なんと既に二つの棺桶まで揃えていました。

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ソ連崩壊の後、地元の男性が日本のビジネスパートナーに蜂谷さんについて話したところ、日本で弟が見つかり、その後さらに奥さんと娘さんが見つかりました。息子さんは引き揚げの際に亡くなってしまいましたが、奥さんと娘さんは朝鮮半島から無事引き上げ、日本で暮らしていたのです。久子さんは再婚もせず51年間旦那さんの帰りを待っていました。看護婦として働き、旦那さんが帰ってきたときに住めるように家まで用意していました。

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弟さんと娘さんがプログレスを訪れ、彌三郎さんに日本に戻るように説得しようとしましたが、ロシアに愛するクラウディアさんと残ることを望みました。しかしクラウディアさんは彼を愛する久子さんの元に戻れるように、身体の状態を考えると日本の方がいい治療が受けられると説得しました。パスポートも彼のために取り、貯蓄も崩してドルに替え、日本で年金や相続の問題が出ないようにと離婚までしました。そして1997年の3月にクラウディアさんは彌三郎さんを日本に送り出しました。

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彌三郎さんが日本に戻ってからも、二人は手紙を書き続け、毎週土曜日には電話で必ず連絡を取りました。クラウディアさんは計4回日本を訪れ、久子さんとも会いました。二人とも涙の中、愛と辛さを分かち合いました。しかしとある土曜日に彌三郎さんからの電話が来ませんでした。久子さんが亡くなってしまいました。

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そして2014年9月彌三郎さんはクラウディアに向けて最後の手紙を書きました。「クラウディア!訃報を聞きました。そして悲しみに浸っています。自分の96歳の誕生日の8月30日に電話をかけましたが、話せませんでした。40年くらいロシアに住みましたが、いつも一緒にいてくれて、助けてくれた。本当にいろいろありがとう。」

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これが本当の「最後の手紙」でした。本当に胸が熱くなる話ですね。三人の愛と自己犠牲は、国境や体制を超えました。ロシアでもこの話はテレビ番組などでも紹介されています。このような愛する人々が離れ離れにならないためにも平和が続くといいですね。