えらい
左胸に銃弾を受け崩れ落ちた若い日本兵。しかし思わぬ持ち物が それから70年の運命を変えることになる。
77年前の8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾が投下されました。街は一瞬にして地獄絵図に変わり、その年末までに広島で14万人、長崎で7万人以上が亡くなったといわれています。長崎の原爆投下から5日後の8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾。翌15日に昭和天皇自らラジオを通して国民に終戦を告げた「玉音放送」により、日本は終戦を迎えました。
終戦から今日で77年。戦争体験者の高齢化に進み、戦争を知らない世代が大半を占める現在、戦争の記憶は風化しつつあります。戦争の記憶が薄れる中、心に響くあるTwitter投稿を紹介します。
mugi(@mugi80190880)さんが2019年8月5日に投稿した祖父の遺品であるタバコケースの画像。日章旗が彫り込まれた鉄製のタバコケースの右隅にはいびつな形の穴が空いています。
祖父のタバコケース…
これは私の祖父の鉄のタバコケース
終戦間近、当時青年だった祖父は日本陸軍の最前線にいた…
そして、銃撃戦の中、胸に衝撃が走る…敵に撃たれた…瞬間
「あ、死んだな…」と思ったらしい
そのまま地面に倒れて、ふと気づくと…生きてた。
その時… pic.twitter.com/Buy3erWODk— mugi (@mugi80190880) 2019年8月5日
1944年から終戦にかけて、フィリピンやサイパンなど東南アジアの島々で激しい戦闘が繰り広げられました。
mugiさんによると、終戦間近、若き陸軍兵だったmugiさんのおじいさんは最前線で戦っていたそうです。銃撃戦の最中、胸に衝撃を受けたおじいさん。敵の放った銃弾が左胸に命中したのです。「ああ、死んだな」そのまま地面に倒れ込んでしまいます。しかし、打たれたはずの自分が生きていることに気がつきます。
左胸のポケットに入ってたのがこの鉄のタバコケース…
— mugi (@mugi80190880) August 5, 2019
片側は薬莢が貫通し、もう片側は玉の勢いが弱まったのか少し横にそれて貫通せず止まっていた…
薄さわずか1㎜……
終戦後帰ってきたじいちゃんは結婚し次の年の今日8月6日原爆の日、父が生まれる…
そして…
打たれた左胸を確認したところ、胸ポケットに入っていた鉄製のタバコケースに銃弾が刺さっていたのです。斜めに被弾し、ケースの片側は貫通していたものの、もう片側で銃弾は止まっていました。おじいさんが何気なく胸ポケットに入れたであろうタバコケースが防弾の役割を果たしていたのです。もし正面から銃撃を受けていたら、銃弾はおじいさんの左胸に到達していたことでしょう。
その娘(私)には息子がいる…
— mugi (@mugi80190880) August 5, 2019
このわずか1㎜の薄い鉄板、これがなければ今私たちはここに存在しない……繋いでくれた命、繋げなかった命…日本が戦争をしていたことを知らない世代が増えていく中、この今は亡き祖父のタバコケースを見る度、あぁ…どうかこの子どもたちの生きる未来も
平和でありますようにと願わずにはいられない…
— mugi (@mugi80190880) August 5, 2019
少しでも悲しいNEWSがなくなりますように…
いつもはアホな事ばかり言うてるけど今日は少しだけ真面目な話…。
戦後、復員したおじいさんは結婚し、翌年mugiさんのお父さんが誕生します。そして孫であるmugiさんには現在息子さんがいます。偶然にもおじいさんの命を救ったタバコケース。わずか1ミリの鉄板によって、おじいさんから息子、孫、そしてひ孫へと命をつなぐことができたのです。
この投稿は大きな反響を呼び、同様の家族の戦争体験を物語る数多くのコメントが寄せられました。
Twitterの反応
夫の祖父は船上で敵の砲弾が太股に当たり戦力にならないと、燃料補給のために寄港した港町で降ろされました。その後、港を発った戦艦は戦火の中で沈没…四国出身でしたが見ず知らずの九州の港町で結婚して今に至ります。ドラマや映画のような話が日常的に起こるのが戦争なのだと…身に沁みて感じます。
— すぅすぅ☃️ (@yshnet1231) August 6, 2019
本当に奇跡ですね。
私の祖母は当時小学生で疎開していました。ある時、飛行機が飛んできたのでみんなで一斉に伏せたそうなのですが、好奇心で飛行機を見上げた同級生の男の子が祖母のすぐ隣で撃たれて亡くなったそうです。
その時に祖母も撃たれていたら…私も生まれていなかったと思います。私の祖父も空襲の中走って逃げている時に穴に落ち、祖父のすぐ後ろを走っていた人が撃たれたそうです。
「あの時穴に落ちてなかったらおじいちゃんが死んでた。戦争は絶対に駄目」と零戦を作ってた工場で働いていた祖父の話は忘れられません。— atagomaru (@atagomaru1) 2019年8月6日
— 佐々木愛 (@aiaiwaaaaai) 2019年8月6日
輸送兵だったうちのじいさんは背が低くて、戦地で頭の上をかすめた銃弾が隣にいた戦友に当たったそうです。
— がんたろうさん(旧:メイショウ未設定) (@Gunchar269) August 6, 2019
生きると死ぬは紙一重や。
幼心に深く刻まれた、在りし日のじいさんの言葉でした。
うちの祖父は特攻隊員でしたが天候不順で中止になりそのまま終戦しました。
— bo (@tanobo) August 6, 2019
あのとき晴れていたならそこで生命は尽きていただろうなと思います。
しみじみと拝読いたしました。
FF外からすいません。
— えぜる (@Cerdicingas) August 6, 2019
うちの大叔父は早稲田大で学徒出陣。そのまま帰らぬ人に。彼の子孫はいません。
戦地から帰った弟には子孫がいます。
少しの差なんでしょうね。生き死には。
地元では優秀で有名だったと聞いていますが、死んでしまうと何も残りませんね。。。
私の祖父も空襲の中走って逃げている時に穴に落ち、祖父のすぐ後ろを走っていた人が撃たれたそうです。
— atagomaru (@atagomaru1) August 6, 2019
「あの時穴に落ちてなかったらおじいちゃんが死んでた。戦争は絶対に駄目」と零戦を作ってた工場で働いていた祖父の話は忘れられません。
うちのひいじいちゃんも爆弾乗っけてないタイプの零戦で銃弾に首を抜かれましたが奇跡的に太い血管や骨には当たらず、なんとか引き返して生還、あと少しズレていたかあと少し弾の口径が大きければ死んでいたと思うと奇跡って本当にありますよね。
— mapoovais/ライ麦ご飯/mIt0/mito_469 (@kiki_4680) August 6, 2019
戦争体験者が徐々に少なくなり、戦争の記憶が薄れつつある現在、いかにして戦争の悲惨さを次世代に伝えるかが大きな課題となっています。おそらく私たち世代が戦争経験者から直接生の声を聞ける最後の世代でしょう。
現在、そして未来を生きる人々が「ごく普通のささいな日常生活」を送ることができるよう、2度と先の大戦のような悲劇が繰り返されないよう願わずにいられません。
このタバコケースのように、死と隣り合わせにある生々しい戦争の事実を雄弁に物語る当時の品々は、貴重な「歴史の証人」の一つでもあるのです。
プレビュー画像: ©️twitter.com/mugi〜壜の中の鳥〜, ©️pinterest/VintagePhotos

