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トリビア

江戸時代にたくましい一人の男が、突然妊娠した。彼のその後を知ったら、涙せずにはいられない。

日本で最初のベストセラー作家といわれる曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)は文政8年(1825年)、当時の文人仲間を呼び集めて見聞きした奇談を披露しあう「兎園会」と呼ばれる会を開きました。文政9年(1826年)に会が断絶した後も、馬琴は異聞を集め続け『兎園小説余録』と呼ばれる小説を執筆。

この作品には骨太でガッチリとした江戸に住む男性が、ある日突然出産したという驚くべき物語が収録されています。

舞台は、当時江戸麹町十三丁目にあったという人気の蕎麦屋。そこには吉五郎という28歳前後の下男が働いており、丸顔で頭は月代(さかやき)を剃り、背中には金太郎の彫り物をした大変屈強な男でした。

彼は背中だけでなく、手足の甲にまで彫り物をしており、その迫力はすさまじいものであったと記されています。

ところが、いつの頃からか巷で「吉五郎は偽男子だ」という噂が流布するようになります。それは夏でも「腹掛け」をして、頑なに胸を見せようとしない吉五郎の行動を不審に思った町人の仕業だったとか…。

吉五郎は元々は四谷新宿の引き手茶屋(客を遊女宿に案内する茶屋)にいましたが、蕎麦屋の仕事についてからというもの、ほかの男に勝るとも劣らない働きを見せていました。しかし、誰言うともなく広まった「吉五郎は本当は女である」という流言に興味をもった四谷に住む博打打ちの男に、吉五郎は襲われてしまいます。

それからしばらくして、蕎麦屋の居間で苦しんでいる吉五郎の声を聞きつけた主人が心配して様子を見に行くと、なんと彼の目に飛び込んできたのは、男の子を一人で出産する吉五郎の姿でした。筋骨隆々の男が赤ん坊を産み落とす光景を目撃した主人の衝撃は計り知れません。

この後「男が男を生んだ」という噂が噂を呼び騒ぎになったため、蕎麦屋の主人は吉五郎を解雇し、生まれた男の子も主人が引き取ることに…。仕事を失い、世間からは「変態」のレッテルを貼られ、まさに絶望の淵に立たされた吉五郎をこの後、さらなる悲劇が襲います。

なんと吉五郎は1832年9月、「世間を惑わす不届きもの」という理由から奉行所に召し取られてしまったのです。なんの悪事を働いたわけでもない吉五郎が「普通でない」というだけで投獄されてしまった事実に憤りを感じずにはいられません。

馬琴は「吉五郎は元々、京の都で女として結婚したものの、やむを得ない理由から夫を殺害し、江戸に逃げてきた」という噂についても触れています。こうした情報から吉五郎はおそらく「インターセクシャル」もしくは「性同一性障害」であっただろうと推測され、この作品からは当時の日本で性別違和をもつ人たちが受けた社会的制裁の恐ろしさが見てとれます。

投獄後の吉五郎に関する情報は一切残されていませんが、わが子に会いに行くことは生涯なかったそうです。お腹を痛めて産んだわが子との縁を切らざるを得なかった吉五郎は、なにを思って余生を過ごしたのでしょうか。

男色、衆道が文化として存在していた江戸時代。キリスト教が社会に深く浸透していた欧米に比べ、性に関しては寛容な社会であったといわれていますが、性同一性障害の人々にとっては、やはりその事実を隠して生きていくしか成すすべがなかったのでしょう。

2004年、「性同一性障害者特例法」の施行により、性同一性障害をもつ人々の戸籍上の性別の変更が可能にはなっています。しかし、性的少数者に対応した制度ができても、それを実際に利用できる風土が整っていないという声も多く上がっています。江戸時代が終焉を迎えた1868年から150年もの年月が経った今、吉五郎のような人が普通に暮らせる社会にしていきたいものです。

プレビュー画像: ©️facebook.com/フーリエ オーガニック

江戸時代にたくましい一人の男が、突然妊娠した。彼のその後を知ったら、涙せずにはいられない。