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ホームに転落した人を救おうとして命を落とした韓国人留学生。悲しみに暮れる母が来日したとき見た光景に足がすくんだ
2001年1月26日、東京・JR新大久保駅であまりにも痛ましい事故が起きました。路線に転落した人を救おうとして2人の男性が路線に飛び降り、3人とも列車にはねられて命を落としたのです。
勇敢にも見知らぬ人を救助しようとして亡くなったのは、日本人カメラマンの男性と、韓国からの留学生であるイ・スヒョン(李秀賢・享年26歳)さんでした。
「ロコレ」https://t.co/IwfO5jfOnsに「日韓が忘れてはいけない人7」を掲載しました。新大久保駅で線路に落ちた人を救おうとして亡くなった李秀賢(イ・スヒョン)さんを取り上げました。 pic.twitter.com/bdCTaVvzlx
— ロコレ(愛韓編集部) (@lokore7) August 12, 2016
そのニュースを聞いたとき、母シン・ユンチャン(辛潤賛)さんは韓国にいました。嘘であってほしいという気持ちで日本に向かったユンチャンさん。
初めて訪れた日本で、変わり果てた姿の息子と対面し、「天が崩れ落ちた」ように感じたそうです。
正義感が強く優しかった息子…異国の地で、そんな息子の命が突然奪われてしまった理不尽さに、ユンチャンさんは押しつぶされそうになりました。
そもそもユンチャンさんは、スヒョンさんが日本に留学に行くことに反対していたそうです。
「日本は韓国を植民地にし、韓国語を使えなくした」
そんな話をいつも聞かされていたユンチャンさん、日本に対してどうしても良いイメージを抱けなかったのです。
しかし日本へ留学へ向かった息子スヒョンさんから聞かされる話は、ユンチャンさんの抱くイメージとは異なったものでした。
「日本は学ぶところが多くて、良いところがたくさんある国。日韓のお互いの過去に執着することは、双方の利益にならないと思う。僕は日韓の架け橋になりたい」
スヒョンさんはいつもそんな話をユンチャンさんにしていました。
しかし最後に連絡を取った2週間後に、スヒョンさんは突如この世を去ったのです。
2001/1/26 新大久保駅でホームから落ちた人を助けようとして日本人カメラマンと韓国人留学生イ・スヒョンさんが亡くなりました。全国から弔慰金が集まり,ご両親はそれを基金にし,日本にいる留学生の奨学金にしました。今まで975名の留学生が受給しています #日韓 pic.twitter.com/qgJlQrY05q
— NYPD (@okashinaneko) January 26, 2020
絶望の底に突き落とされたユンチャンさんでしたが、日本で開かれた葬儀で驚くべき光景を目撃します。日本人を助けようとして命を落とした勇気ある韓国の若者の話を聞きつけた人たちが、葬儀に駆けつけたのです。その数、実に1000人以上。
韓国に戻ってもなお、ユンチャンさんのもとには日本人からこんな手紙が届き続けたと言います。
「心動かされました」「スヒョンさんのように心の温かい人がいると知ることができて良かった」…
日本に対してネガティブなイメージを抱いていたユンチャンさんでしたが、この時ある事実に気がついたのです。息子は、日韓を結ぶ希望の光のような存在になったのだ、と。
それ以来、毎年日本を訪れるようになったユンチャンさん。息子がいつも言っていた「日韓の架け橋」になりたいという夢。それを叶えられるのは自分しかいないのだと思ったのです。
韓国から来日されたドキュメンタリー映画『#かけはし』ご出演者の李盛大(イ・ソンデ)さん・辛潤賛( シン・ユンチャン)さんが、昨日の荒川区民会館での上映後にご挨拶くださいました。本日午前中に帰国されました。またお会いできる日を楽しみにしています〜♪ pic.twitter.com/kwUUS4AM3O
— ミューズの里【公式】 (@musevoice) October 20, 2018
ユンチャンさんは寄せられた募金で、日本に来る留学生のための奨学金を創設。また、届き続ける手紙を読みたいと思い、日本語も学び始めました。しかしそんな「架け橋」の活動は、大きな逆風にさらされます。韓国国内には日本に対して良くない感情を抱く人が少なくないことや、日韓の間の政治的な摩擦が原因で、イベントの中止を余儀なくされることもありました。
第2作目のドキュメンタリー映画『かけはし』にご出演くださっているスヒョンさんのご両親の李盛大(イ・ソンデ)様・辛潤賛( シン・ユンチャン)様をお招きして、映画音楽ライブ・交流会・上映会が10/18に東京・新宿御苑PAPERAにて開催されます〜!詳細は➡️https://t.co/7T3ym97tR2 pic.twitter.com/bnWblMfcnl
— ミューズの里【公式】 (@musevoice) September 21, 2018
さらに2019年3月には、長年共に活動を続けていた夫・イ・ソンデ(李盛大)さんが亡くなり、最後の精神的な支えも失ってしまいました。それでも、ユンチャンさんは決して歩みを止めることはありませんでした。
「日韓の架け橋になることは、息子が私に残した宿題。私の命が尽きるまでまっとうしなければ…」
これまで1000人を超える若者が、ユンチャンさんが創設した奨学金で日本に留学を果たしています。多くの留学生が、こんなことを口にするそうです。
「私たちも、亡くなったスヒョンさんのように、自国と日本をつなぐ架け橋になりたいんです」
日韓関係が過去最悪と言われる中でも、民間同士の交流は以前よりも盛んになっていると言えるでしょう。スヒョンさんが残してくれた永遠に輝き続ける希望のともし火。時を経て、スヒョンさんの「日韓の架け橋になる」という夢は叶えられたのかもしれません。
プレビュー画像:©︎Twitter/ロコレ(愛韓編集部)
