えらい
世界の歴史を大きく変えた知られざる14人の偉大な女性たち
人類の歴史において、科学や社会の発展に大きく寄与した女性は数え切れないほど存在しています。しかし残念ながら女性たちの功績の多くは、歴史に埋もれ、見過ごされています。実際、伝記物語や偉人伝にとりあげられている偉人のほとんどが男性です。
この記事では、世界を変えるような偉業を成し遂げたにも関わらず、これまで大きく取り上げられることがなかった女性たちにスポットライトをあて、ご紹介していきます。
歴史を変えるほどの功績を成し遂げた14人の女性たち
1. ネリー・ブライ(本名:エリザベス・コクラン)
ネリー・ブライは1880年代に活躍した米国人ジャーナリスト。男性の世界だったジャーナリズムの分野で女性記者の先駆けとなりました。勇敢な彼女は、記事を書くために様々な現場に潜入し、児童労働、汚職、虐待などを暴露する調査報道を行いました。なかでも有名なのは、ブラックウェルズ島の女子精神病院の実態を暴いた記事。自ら精神病を装い、病院に潜入し、そこで体験した患者に対する残酷な待遇を記事にしました。彼女の記事により精神病院の環境は改善され、彼女の記事は調査報道における革命とみなされました。
2. キャサリン・ジョンソン
キャサリン・ジョンソンはNASAに勤務した最初のアフリカ系アメリカ人数学者の一人でした。1970年、アポロ13号が月に向かう途中で爆発事故を起こします。「ヒューストン、問題が発生した」というセリフで有名なこの事故に際し、クルーが地球に戻るための安全な軌道を見つけたのがキャサリンでした。その後も火星探査のプロジェクトなどに取り組み、女性としても、アフリカ系アメリカ人としても、アメリカンドリームを体現した女性でした。2020年に101歳で逝去しました。
3. クローデット・コルヴィン
クローデット・コルヴィンは、人種隔離が行われていた米国南部出身のアフリカ系アメリカ人。1955年、後に「公民権運動の母」と呼ばれたローザ・パークスのバスボイコット事件より9か月も前に、15歳のクローデットはバスで白人に席をゆずるのを拒み、逮捕されました。公民権運動の指導者たちは彼女を運動の象徴的人物にしようと考えましたが、彼女が婚外子を妊娠していたことが分かると、彼女に背を向け、代わりにローザ・パークスが選ばれたと言われています。
Before Rosa Parks, she refused to give up her bus seat. Meet 10 unsung heroes of the civil rights movement: https://t.co/PILlyNb3cw #BHM pic.twitter.com/GsCQosrHIm
— WSB-TV (@wsbtv) February 1, 2017
4. イレーナ・センドラー
イレーナ・センドラーは、第二次世界大戦中ドイツ軍に占領されていたポーランドのワルシャワで、ユダヤ人の子どもたちをゲットーから密かに連れ出し、かくまう活動を行いました。当時、ユダヤ人を救うことは死に値する罪とされていましたが、彼女は2,500人以上の子どもたちを安全な場所に運び、死から救いだしました。ゴミ袋や棺桶に隠されて外に連れ出された子どもたちもいたそうです。
5. ミレヴァ・マリッチ
ミレヴァ・マリッチは、数学と物理学を学んだ最初の女性の一人でした。学生時代にアルバート・アインシュタインと出会い、彼の最初の妻となりました。彼女は優れた物理学者であり、アインシュタインの研究に大きな影響を与えました。
Albert Einstein‘s merits are also due to his first wife Meliva Marić, a Serbian physicist. Unlike Pierre & Marie Curie, he did not share his fame with his wife thinking in old role models. Just like composer Richard Wagner he was a genius but controversial in character pic.twitter.com/GoKDEj3EEd
— Andreas Witte (@Andreas_Witte) November 9, 2020
6. ブレッチリー・パークの女性たち
第二次世界大戦中、約8,000人の女性がブレッチリー・パークで雇用されました。ブレッチリー・パークは、ナチスドイツの暗号解読活動の中心となった英国の秘密機関です。暗号解読に携わった女性たちの仕事は連合軍の勝利に大きく貢献したと言われています。しかし、この女性たちの貢献が英国政府に公式に認められたのは、終戦から64年たった2009年のことでした。
7. ヘンリエッタ・ラックス
ヘンリエッタ・ラックスは、1951年、わずか31歳で子宮頸がんで亡くなったアフリカ系アメリカ人女性です。彼女から無断で採取された子宮頸がん細胞は、彼女の死後にヒト由来の不死化細胞株としてさまざまな医学研究に用いられ、のちに彼女の名からHeLa (ヒーラ)細胞と呼ばれるようになります。ヒーラ細胞はポリオワクチン、クローニング、人工授精、化学療法薬など、数多くの医学的進歩の礎となり、ヘンリエッタ・ラックスは医学の偉大な貢献者となりました。
8. エリノア・マルクス
カール・マルクスの末娘として、彼女はいつも有名な父親の影に隠れていました。しかし、英国の労働組合では重要な役割を果たし、12時間労働の週6日制から8時間労働の週5日制への移行に貢献しました。
9. マーガレット・ハミルトン
米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)でプログラマーとして働いていたマーガレット・ハミルトンとそのチームは、アポロ11号の飛行ソフトウェアを開発しました。このソフトウェアによって、アポロ11号は1969年に人類初の月着陸を果たしました。
10. ベッシー・コールマン
ベッシー・コールマンはパイロットの免許を持った最初のアフリカ系アメリカ人女性。アメリカで飛行訓練を受けることができなかったため、1921年にフランスに渡り、女性として初めて国際免許を取得しました。のちに自らアフリカ系アメリカ人パイロットを訓練したいとパイロット養成学校の設立を決意しますが、その願いは叶えられませんでした。1926年に飛行機事故で亡くなったのです。34歳の早すぎる死でした。
11. ロザリンド・フランクリン
DNAの二重らせんの発見者といえばフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンと言われていますが、実は二重らせん構造を最初に発見したのはロザリンド・フランクリンで、研究結果は彼女から盗用されたものでした。ワトソンとクリックはその発見で1962年にノーベル賞を受賞しましたが、当時、フランクリンはすでに癌で亡くなっていました。後にノーベル賞委員会はフランクリンの科学への貢献を認めましたが、死後に賞を授与することはできず、受賞の栄誉は得られませんでした。
12. マリー・サープ
マリー・サープはアメリカの地質学者であり、地図製作者です。1950年代に大西洋の海底の地図を初めて作成し、それが地殻プレートの発見と大陸移動の理論へとつながりました。
You may already know that Marie Tharp created some of the first maps of the ocean floor and helped discover plate tectonics. Here are 8 lesser-known facts about this history-making cartographer as we continue our #MarieTharp100 celebration! https://t.co/yXw5xir6E2 pic.twitter.com/RhVqmyAHoB
— LDEO (@LamontEarth) July 29, 2020
13. サンディ・フォード
サンディ・フォードはAIDSの流行についてCDC(米国疾病管理センター)に最初に警告した薬剤管理者でした。彼女は抗生物質ペンタミジンによるニューモシスチス肺炎(PCP)の治療依頼が増加していることに気づき、その症例が男性同性愛者に見られることを知り、なんらかの異常が起きていると上司に報告したのです。彼女の的確な行動が、後に後天性免疫不全症候群(AIDS)として知られるようになる感染症の発見につながりました。
14. グレース・ホッパー
グレース・ホッパーは、女性初の数学博士号取得者で、米国海軍で50年に渡り、初期のコンピュータのプログラム開発のリーダーとして活躍しました。彼女はプログラミングをより簡単に、より速く、より多くの人が使えるようにしたいという信念で、人間の言葉が使えるプログラムを開発しました。すべてのプログラミング言語に道を拓いたグレースは「プログラミングの女王」と呼ばれています。
差別や苦境をはねかえし、道を切り拓き、社会や科学の発展に寄与した女性たち。その道のりは決して平坦ではなかったはずです。そんな彼女たちの功績に目を向け、再び掘り起こすことは、女性がのびのびと活躍できる未来への一歩となるのではないでしょうか。
プレビュー画像: ©Reddit/Aoxxt2

