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トリビア

「ロケット開発の父」はオカルト科学者。ジャック・パーソンズの37年の数奇な人生

宇宙工学やロケット技術といえば、論理と理性が支配する純粋な科学分野…少なくとも一般の人々はそう考えているでしょう。しかし、科学技術者も人間です。人間は古来から信仰や迷信とともに生きています。

そんな矛盾した人物の一人が、ロケット研究の先駆者として歴史に名を残した1914年生まれのジョン・ホワイトサイド・パーソンズです。ジョン(通称ジャック)・パーソンズは、カリフォルニア州のジェット推進研究所(JPL)やエアロジェット社の共同設立者としてロケット開発に大きく貢献した一方で、オカルトや魔術にのめり込み、自ら実践したことでも知られています。

この記事では、ジャック・パーソンズの短くも数奇な人生をご紹介しましょう。

「ロケット開発の父」ジャック・パーソンズ

ジャック・パーソンズは、1930年代から1940年代にかけて、アメリカのミサイル計画に携わり、宇宙で使える推進剤の開発に大きく貢献した人物。彼が開発した技術により、JPLは後に火星にロボットを送り込み、宇宙に探査機を打ち上げ、彗星の尾から塵を集めることが可能になったのです。

荒唐無稽なSF世界を信じる青年

一方で、ジャック・パーソンズの神秘主義やオカルトへの傾倒が、彼の宇宙への情熱に大きな影響を及ぼしたことは否めません。1920〜1930年代当時は、「自分はロケット科学者だ」と言っても、笑われるか、危ない奴だと引かれるかのどちらかだったでしょう。当時、ロケットは純粋なSF(サイエンス・フィクション)であり、ロケット科学者とは荒唐無稽な夢を信じる輩だと考えられていたのです。

実際、若き日のジャック・パーソンズが宇宙旅行のアイデアに夢中になったのは、SF小説がきっかけでした。パーソンズは自宅の裏庭で火薬ロケットを作り、高級住宅街に燃え尽きたダンボールの残骸を撒き散らし、近所の人々を恐怖に陥れました。その後、彼は実験を補強する理論を求め、生涯の友エド・フォアマンとともに、カリフォルニア工科大学を訪れ、機械工学を学ぶ大学院生フランク・マリナと知り合いになります。この3人のロケットマニアは、キャンパス内で何度もボヤ騒ぎや爆発を起こしたため、「スーサイド・スクワッド(決死隊)」としてカリフォルニア工科大で悪名を轟かせていました。しまいにはロケットモーターの騒音や爆発の危険により、キャンパス内の実験を禁じられてしまいます。それでも、3人はロケット開発を続けます。

「黒魔術」「新興宗教」オカルト組織との深い関わり

一方、パーソンズは魔術や超自然現象への興味を失うことはありませんでした。彼にとって、ロケットと魔術はコインの裏表のようなもの。どちらも蔑視され、不可能だと嘲笑されてきたからこそ、彼にとっては実現すべき夢だったのです。

1930年代には多くの秘密結社や教団が結成されました。そのひとつが、「オルド・テンプリ・オリエンティス(Ordo Templi Orientis)」で、これは現在も存在するオカルト組織です。その組織の創設者アレイスター・クロウリーは、多くの問題を抱えた人物でした。厳格なキリスト教の教えを受けて育ち、両親や教師から虐待を受けていた彼は、青年期になると、その教えに全力で反発し、黒魔術に傾倒していきます。幼い頃、母親から「反キリスト」と呼ばれていた彼は、黒魔術にかかわるうちに、自分が悪魔であると信じるようになっていくのです。様々なオカルト団体に所属したのち、彼は自分がトップになり、自分の周りに熱心な信者を集めることを決意します。当時「世界で最も邪悪な男」と呼ばれた彼は、神秘主義と快楽主義をうたう新興宗教を創設したのです。

24歳のジャック・パーソンズは、クロウリーの世界観に陶酔します。パーソンズはクロウリーが説く絶対的な自由と揺るぎない自信に魅入られ、自作のロケットを打ち上げるたびにパン神への賛美歌を歌い踊るようになりました。実験の炎と爆発は、魔術にふさわしいドラマチックな背景となっていきました。

SFだと思われていたロケット打ち上げは現実に

一方、1941年、「決死隊」はエアロジェット社を設立し、自分たちの作ったロケットを軍に売り始めます。需要が増え、研究開発に多額の資金が提供されるようになるにつれ、それまで彼らを嘲笑していた科学者たちが列をなすようになります。

一方、パーソンズは「オルド・テンプリ・オリエンティス」の一員としてもその地位を高めていきました。1942年、クロウリーはパーソンズを教団内のグループリーダーに任命します。

宇宙開発競争と冷戦に拍車をかけたアメリカのロケット計画の第一人者が、同時にオカルトの世界でもトップの人物だったのです。

現実と空想世界の境界が消えてゆく

彼の開発した技術は高く評価されていましたが、彼があまりにもエキセントリックで予測不可能であったため、ほとんどのビジネスパートナーは彼を信用していませんでした。生きた蛇を肩に巻きつけて来客を迎えたり、乱行パーティを開いたり、パートナーのエド・フォアマンとピストルを撃ち合って、どちらがひるむかを競うなど、その奇行はエスカレートしていきます。

1943年、パーソンズは生活態度の悪化から、自身が創設したエアロジェット社からも追放されてしまいます。この頃、彼は、L・ロン・ハバードという人物と出会います。後に宗教団体サイエントロジーを立ち上げるハバードは、パーソンズと意気投合し、魔術儀式による「月の子ども」の蘇生に取り組みます。しかし結局、儀式はうまくいかず、ハバードはパーソンズの妻マージョリー・キャメロンと共にパーソンズの資産2万ドルを持って消えてしまいます。

失望したパーソンズは、自信喪失と鬱のスパイラルに陥ります。1952年6月17日、ジャック・パーソンズは敷地内での大爆発で命を落とします。ペンタグラムや化学式、オカルト的な絵などに囲まれた彼の遺体が発見されました。「ロケット開発の父」は、わずか37歳でこの世を去りました。

その17年後、彼が開発した推進剤を使って人類は初めて月に降り立ちます。月の裏側にある大きなクレーターは彼の功績にちなみ、パーソンズクレーターと命名されました。

 

プレビュー画像: ©Facebook/SciBabe