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今も謎が謎を呼ぶ!100年前にドイツで起きたミステリアスなヒンターカイフェック事件

未解決の犯罪事件は、人々をいつまでも魅了してやまないもの。たとえば、130年以上前に起きたロンドンの切り裂きジャック事件は多くの小説や映画の題材となっています。

しかし、多くの人が今なお関心を寄せる未解決の殺人事件があるのは、ロンドンやハリウッドだけではありません。

この記事では、今からちょうど100年前に起きたドイツ最大のミステリーと呼ばれるヒンターカイフェック事件をご紹介しましょう。

事件が起きたのは1922年。ミュンヘンの北70 kmに位置するグレーベルン村の近くに、ヒンターカイフェックと呼ばれる寂れた農場がありました。

ヒンターカイフェックに住んでいたのは、農場主のアンドレアス・グルーバー(64歳)、妻ツェツィーリア・グルーバー(72歳)、未亡人の娘ヴィクトリア・ガブリエル(35歳)、ヴィクトリアの娘のツェツィーリア(7歳)と息子ヨゼフ(2歳)の5人。農場主のアンドレアスはケチで風変わりで愛想がなく、一家は周囲の村民から敬遠される存在でした。

ヴィクトリアの夫は第一次世界大戦で戦死していましたが、ヴィクトリアはその後、隣人のロレンツ・シュリッテンバウアーと交際し、ロレンツはヨゼフを自分の息子として認知し、結婚する予定でした。

しかし、ヴィクトリアの父アンドレアスは、二人の交際を禁じ、恋は終わりを告げていました。

1922年3月のある日、農場主アンドレアス・グルーバーは、雪の上に自分の農場に続く怪しい足跡を発見しました。さらに、普段見ることのない新聞が農場に落ちていたり、玄関の鍵がなくなっていたり、夜中に屋根裏で足音が聞こえたりと、不審な出来事が続きます。しかし、建物の中を探しても誰もいません。

アンドレアスはこのことを村の隣人たちに話していますが、なぜか警察には届けていませんでした。また、事件前日となる3月30日から31日にかけての夜、ヴィクトリアと父親の間でひどい口論があり、彼女が森の中に逃げ込み、連れ戻されたことがわかっています。

その2日後の1922年4月1日、ツェツィーリア(7歳)は学校に姿を見せませんでした。4月2日には、家族全員が恒例の教会の日曜礼拝に参加しませんでした。ただ、ヒンターカイフェック農場の煙突は煙を出していたので問題ないと思われました。しかし、4月4日になってもグルーバー一家の姿が見えないので、近所の人たちは心配になり、ヒンターカイフェックの様子を見にやってきました。そのなかにはヴィクトリアの元恋人ロレンツ・シュリッテンバウアーの姿も。

彼らはそこで生涯忘れることのできない光景を目にします。納屋に、グルーバー夫妻、ヴィクトリア、ツェツィーリアの4人の遺体、家の中に幼いヨゼフとメイドのマリア・バウムガルトナーの遺体が発見されたのです。グルーバー一家と使用人の計6名は頭部を重い物で殴打され、惨殺されていました。

ここで特に不可解で恐ろしいのは、3月31日の夜から4月1日未明にかけて犯行が行われたにもかかわらず、何者かが4月4日の朝に牛の乳を搾り、牛に餌と水を与え、暖炉で火を燃やしていたこと。

また、家の中のパンはすべて食べられており、肉は切りたての状態で食べた形跡もありました。つまり、犯人は犯行後の数日間、この建物に住んでいたのです。また、屋根裏は足音を消すために床板に藁が敷かれており、犯行前から誰かがそこで潜伏していたと考えられます。こうしたことから犯人が用意周到に犯罪を進めていたことが窺われます。

不思議なことは他にもあります。事件の半年前、当時勤めていたメイドが屋根裏で奇妙な音を聞き、この家には幽霊が取り憑いていると言って辞めています。殺害されたメイドのマリアはなんと事件当日の31日に採用されたばかりの新人メイドでした。

最初は浮浪者や旅行者による窃盗が疑われましたが、家の中には犯人が手をつけていない大金があったため、この説はありえないとされました。次に疑われたのはヴィクトリアの元恋人ロレンツ・シュリッテンバウアー。アンドレアスにより結婚を阻止されたとき、ロレンツは彼をヴィクトリアとの近親相姦で通報していました。事実、アンドレアス・グルーバーは娘を虐待しており、近親相姦の罪で1915年に有罪判決を受けていました。

彼は当時2歳だったヨゼフを自分の子として認知していますが、ヨゼフが実はアンドレアスの子どもだと考えていたのではないかと言われています。

他にも、遺体を発見したときのロレンツ・シュリッテンバウアーは、妙に冷静であったと言われています。村人がショックで納屋から飛び出していく中、彼は冷静に家の中をさらに進み、鍵がかかっていたはずの扉の鍵を開けたと言われています。この鍵はアンドレアスが失くしたと言っていた鍵。その後も彼は、村のパブで犯行を一人称で語っていたという証言もあります。しかし、決定的な証拠はあがりませんでした。

その後も数多くの容疑者が捜査線上に浮上しました。たとえば、ヴィクトリアの元夫カール・ガブリエルは戦死したのではなく、戦地から帰還して、妻と義父の近親相姦を知り、犯行に及んだ末、ロシアに逃げたという噂も長い間流れていました。農場の元小作人であるピーター・ウェーバーが、アンドレアスを殺して金を盗む計画を立てていたという疑惑もありました。また、近所に住むターラー兄弟は盗癖があり、さらに、現場近くで目撃されていたため、周囲の人から怪しまれていました。1970年代には、自分の2人の息子がヒンターカイフェック事件の犯人だと主張する女性が登場したりもしました。

しかし、これらの疑惑や噂は、いずれも明確な手がかりにはつながりませんでした。結局100名以上が捜査の対象になったにもかかわらず犯人特定には至らず、1955年にこの事件のファイルは閉じられ、迷宮入りとされました。しかし、捜査官は地道に調査を続け、何度か新しい発見がありましたが、それが明確な結果に結びつくことはありませんでした。最後に当局が証人への事情聴取を行ったのは1980年代でした。

事件の1年後に農場は取り壊されましたが、その際、屋根裏部屋の床下に大量の血と人間の髪の毛が付着したつるはしが発見され、凶器であると考えられましたが、これも犯人特定には結びつきませんでした。

殺害された6名はヴァイトホーフェンの墓地に埋葬され、墓地には事件の慰霊碑が建てられています。

凶器や犯人の痕跡がくっきりと残されていたにもかかわらず、謎のままに迷宮入りとなったミステリアスなこの事件。100年前にどんな狂気がそこにあったのか、私たちはもう知ることはできないのでしょうか。

出典: mentalfloss

プレビュー画像: © Facebook / Judgy Crime Girls