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おもしろ・びっくり

この黒人少年はナチス・ドイツで育った。父親の名を知ったら、驚かずにはいられない。

ユダヤ人、シンティ・ロマ、身体障害者、同性愛者など、ありとあらゆる社会的少数者への迫害を国家レベルで遂行したナチス・ドイツ。ナチス政権下を生きる「アーリア・ドイツ人」ではない人種、特にアフリカ系の人々は「精神的にも肉体的にも劣っている人種」とされ、激しい差別と弾圧の対象となりました。

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そんなナチスの暴政下を生きた、ひとりの黒人男性がいます。彼の名はハンス・マサコイ。1926年1月にドイツ北部の都市ハンブルクに生を受けたハンスは、ドイツ人の母とリベリア人の父との間に生まれました。

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ハンスの父アル・ハジ・マサコイはリベリア総領事館の領事でしたが、同時にリベリア・ヴァイ族の皇太子でもありました。しかしアル・ハジはある日突然、ハンスと母をドイツへ残し、リベリアへと帰国してしまいます。

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母と2人きりでドイツに残されたハンスは、「王子」という肩書きはあったものの、黒人ということで壮絶なイジメに遭います。「Neger, Neger, Schornsteinfeger」(黒んぼ、黒んぼ、煙突掃除夫!)と、肌の色を馬鹿にされるのは日常茶飯事でした。

しかし、当時の少年たちの多くがそうであったように、ハンスもナチス党の青少年組織・ヒトラーユーゲントに憧れを抱いていたのです。本来ならば「混血」である彼の憎しみの対象となるべきナチス党にハンスが憧れを抱いた根底には、正真正銘のドイツ人として認められたいという強い望みがありました。

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ナチス党の紋章「ハーケンクロイツ」を胸につけたハンスが金髪の少年少女たちと一緒に映るこの写真が撮影されたのにはこうした背景がありました。幼いハンスは善良なドイツ人として認めてもらおうと、ベビーシッターの女性にお願いして、ハーケンクロイツをわざわざセーターに縫いつけてもらったのです。

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結局、ハンスがヒトラーユーゲントへの入団やナチス党への入党を認められることは、終戦までありませんでした。それどころか、ハンスは黒人であることを理由に大学進学に欠かせないギムナジウムへの進学を拒否され、下等労働者として職業訓練を行うことを強いられます。戦後、ハンスはアメリカへと移住し、ナチス統治下のドイツを振り返った自伝を執筆するなど、人種差別撲滅に向けた活動にその余生を捧げたそうです。

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黒人を下等人種とみなし、徹底的な迫害を行ったナチスと「(ドイツ人として認められるために)ナチスになろう」とした黒人少年。ナチスによるユダヤ人迫害については広く知られていますが、我々の想像を絶する差別や迫害を受けたアフリカ系ドイツ人たちの存在もまた、決して忘れてはならない負の歴史の1章なのです。