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考えさせられる

養父に性的虐待を受けた男は小児性愛者を次々に襲う「アラスカの復讐者」となった

復讐は正義なのでしょうか?

法律上では、答えはおそらくノーでしょう。しかし、米国では70歳の老人の顔をハンマーで殴り、自らの正義を貫いた男を賞賛する人が数多くいます。

1975年にアラスカで生まれたジェイソン・ヴコヴィッチは、シングルマザーの母親と兄のジョエルと暮らす、ごく普通の米国の子どもでした。

しかし、彼が4歳の時に母親がラリー・リー・フルトンという男性と結婚したことで、兄弟2人の運命は大きく変わります。ラリーは兄弟を養子に迎えましたが、父親代わりになることはなく、彼らを生涯苦しめる存在となったのです。

「両親は私たちを週に2、3回、教会の礼拝に連れて行く敬虔なクリスチャンでした。ですから、養父が深夜の “祈りの時間 “に私たちに性的虐待を始めたときの恐怖と混乱は想像に難くないでしょう」とジェイソンは後に書いています。

ラリーは性的虐待に加え、子どもたちの身体に暴力をふるっていました。ベルトや木の枝で息子たちを鞭打っていたのです。1989年に子どもへの虐待で有罪判決を受けたにもかかわらず、ラリーは刑務所には服役せず、当局による追跡調査も行われず、ジェイソンの地獄はさらに2年間続きました。

ジェイソンが16歳になったとき、兄弟2人は家を逃げ出しました。しかし、二人の運命はここで大きく分岐します。兄ジョエルはトラウマを抱えながらも、勉学に励み、博士号を取得し、起業し、家庭を築き、成功したのに対し、ジェイソンは間違った道を歩んでしまったのです。

未成年で経済的な余裕も身分証明書もなかったジェイソンは、生き延びるために窃盗に手を染めるようになりました。自身の犯罪動機についてジェイソンは「自分は価値のない捨て駒だという思いが常につきまとっていました。少年時代に築かれた基盤は決して消えることはありませんでした」と述べています。

その後、彼は米国のいくつかの州で暴行、強盗、空き巣、窃盗など、犯罪行為を重ねます。ジェイソンがどん底に落ちたのは、ようやくアラスカに戻ったときでした。彼は自身のトラウマが沸点に達したかのように、アラスカ当局が公開している性犯罪者登録簿を調べ始めたのです。

彼が選んだ名前は3つ。チャールズ・アルビー、アンドレス・バルボサ、ウェスリー・デマレスト。いずれも子どもに対する性犯罪歴で登録されている男性でした。ジェイソンは彼らの名前と住所を書いたノートを握りしめ、3人の自宅を狙いはじめます。

2016年夏のある日、玄関のドアを開けたチャールズ・アルビーは怒りに満ちた表情で家の中に立つ41歳のジェイソンと対峙します。

ジェイソンはアルビーに自分がどうやって彼を見つけたのかを告げ、アルビーが何をしたかを知っていると話しました。そして、アルビーの顔を数回殴ると、金品を奪って立ち去りました。アンドレス・バルボサのアパートでも同じことが起きました。

ジェイソンの暴力はウェスリー・デマレストの家でクライマックスを迎えます。ジェイソンは再び同じように押し入ると、70歳のデマレストに膝をつくように命じますが、彼は拒否。するとジェイソンは、ハンマーで彼の顔を殴り、こう言いました。「俺は復讐する天使だ。お前が傷つけた人のために正義を下す」

この犯行後すぐにジェイソンは逮捕されました。2年後の2018年、ジェイソンは28年の懲役と5年の執行猶予を言い渡されました。

「アラスカの復讐者」と呼ばれるようになったジェイソン。彼の行為を称賛し、釈放を求める人たちもいます。また彼は子どもの頃にすでに罰せられており、これ以上罰を受けるに値しないと言う人たちもいます。しかし、ジェイソンは公開書簡で述べているように、現在は自らの行動を後悔しています。

「子どもの頃の記憶が蘇り、圧倒的な復讐心や憎悪に抗えず、自らの手で3人の小児性愛者を襲撃しました。・・・もし、私のように児童虐待によって青春時代を失ってしまった人がいたら、暴力行為によって現在と未来を捨てないでください。

私の人生の判決はずっと前に下されました。無知で残虐な父親のせいで、こんなことになってしまったのです。私は今、彼のような人に怒りをぶつける決断をしたことで、残りの人生まで失いかけています。私のように苦しんでいる人たちへ:自分と周りの人を愛してください。それが唯一の道なのです」

この実話は、児童虐待がいかに人生を破壊するかを端的に物語っています。そして、たとえ正義に駆られたものであっても、復讐や私的制裁、報復は誰の心にも永遠の平和をもたらさないことを私たちに教えてくれます。

出典:allthatinteresting

プレビュー画像:©Twitter/@peruenlanoticia ©Twitter/@CrimesReais