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90歳まで友人を持たず家族とも疎遠に生きてきた男性 「ずっと孤独だった」と語るその理由に胸が押しつぶされそうになる

多様な生き方や個人の選択を尊重できる社会が目指される一方で、古くから社会に根付いてきている「世間体」や「こうあるべき」という無言の圧力。多様性が叫ばれる中で、個人の意思決定に影響を与え「生きづらさ」を感じさせてしまう原因にもつながっています。

現代ではこの生きづらさを抱えている人が多くいると言われています。しかし、個人よりも集団の和がより重視されていたひと昔前の日本社会においては、「生きづらい」と声にあげることすら難しく、人知れず苦しい思い抱えていたという人は多いのではないでしょうか。

90歳目前までずっと独りだった

「差別が怖くて周囲に言えず、人と関わらずに独りで生きてきた。ずっとずっと孤独だった」

そう語るのは大阪市西成区に住む詩人の92歳の長谷忠さん。長谷さんは90歳になる直前までの長い人生を、友人を持たず家族とも疎遠に孤独に生きてきたと言います。

長い間、独りで生きてこざるを得なかったその理由、それは長谷さんが同性愛者であるためでした。

世間体や偏見がもたらした孤独

長谷さんが生まれ育った時代は、世間体という社会にあるいわば戒律のようなものに従わない場合は、「異質」や「異端」とされ、社会という集団から排除されかねなかった時代。小学校低学年の時に、初めて男性教師を異性として好きになった長谷さんでしたが、周囲には同じような性的指向を持つ人もなく、悩んでいたそうです。また、同時は「同性愛は病気」として扱われていた時代でもあり、思春期に同性愛を知った長谷さんは、病気として扱われたり、差別を受けるのではと、家族にも打ち明けることができない日々を過ごしたと言います。

やがて戦争を迎え、独りで満洲に渡りモールス信号の通信士として働いた長谷さんは終戦後に帰国。同性愛者であるという自分に自信が持てず、周囲に知られるのを恐れ、友人や恋人を作ることなく独身で過ごしてきた長谷さんは、普通に暮らす兄弟姉妹に迷惑がかかるからと家族との関わりも絶ったそう。

現実世界は遠い存在

周囲へ知られることが怖く独りだった長谷さんでしたが、誰にも打ち明けられない思いを小説や詩で表現。自身の人生を赤裸々に書いた詩集「母系家族」や小説「私生子」を出版するなど、物語の世界で自分を表現してきました。しかし、これらはペンネームを使ったからこそできたと言い、現実の世界は長谷さんにとってありのままを表現するには、ほど遠い存在でした。

そんな日々を過ごす中、長谷さんにある転機が訪れます。90歳を目前に控えたある日、自宅近くでボランティア団体「紙芝居劇むすび」の公演を偶然目にしたという長谷さんは、劇中で役になりきり楽しそうに演じる人々の姿に心を打たれたと言います。

「私はゲイですが、参加できますか?」

「人と人とを結ぶこと」を目的に設立され「紙芝居劇むすび」では、様々な事情で孤独に暮らす高齢者同士が助け合いながら活動しています。そんな団体で活動する人々の姿に、心を動かされた長谷さんはその場で手を挙げてこう口にしました。

「私はゲイですが、参加できますか?」

「同性愛がばれないように隠し続ける生活にうんざりしていた。告白すれば人生を前に進められるとずっと思ってきた」周囲の目を気にしてきた暮らしに葛藤を抱えながら、人生を切り開きたいと思っていた長谷さんでしたが、後に仲間からこの一言がカミングアウトと知らされるまで気づかないほど、自然と口から出てきたそうです。

人生を楽しいと思えるようになった

「むすび」の活動に参加して以来、生まれて初めて仲間や友人ができたという長谷さんは、自分に自信が持てるようになり、憧れていた女装も経験するなど、人生を楽しむことができるようになりました。

長かったトンネルを抜け、人生を切り開いた長谷さんですが、現代社会がLGBTQ+の人々へ寛容になりつつも、差別や偏見は今も根強くあると感じるそうです。長谷さんは今後、高齢の同性愛者の性をテーマとした作品を書くことを目標にしており、性で悩む人がいなくなり、暮らしやすい世界になるようにと願っているとのこと。

90歳でようやく自身の人生を歩み出した長谷さん。彼を苦しめたのは、社会に根付いた偏見や「こうあるべき」という周囲からの無意識で無言の圧力だったのではないでしょうか。長谷さんの姿は、性で悩む多くの人々に勇気を与えただけでなく、同時に私たち一人一人が意識を変え、社会を変えていかなければならないということを伝えてくれているようにも思えます。

プレビュー画像:©︎Twitter/rantyo3141

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