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トリビア

【夢の国じゃなかった?】ディズニーランドにまつわる20の真実。7番目で頭がクラクラした。

夢の国、ディズニーランド。日本では1983年の開園以来、家族やカップルの楽園として今も偉大な人気を誇っています。しかし当然、夢の国も誰かの血と汗の結晶です。今回は、ディズニーランドにまつわる興味深い20の事実をご紹介します。

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1.

人気俳優ライアン・ゴズリングが2015年にアカデミー賞授賞式に出席しなかったのは、メキシコの映画監督ギレルモ・デル・トロと一緒にディズニーランドに行ってたから。

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2.

2001年、キム・ジョンイル総書記の長男キム・ジョンナムは、偽のドミニカ国のパスポートを使って日本に入国。 説明を求められ、彼は「ただディズニーランドを訪れたかった」と言った。 その後、彼は父親から勘当される。

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3.

ディズニーランドがオープンした当初、ヘリコプターで園内を訪れるオプションがあった。 しかしオープンしてから12年後の1968年、アメリカ史上最悪のヘリコプター事故を起こし、23人の命が奪われた。その後もちろん、このオプションは消えた。

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4.

アメリカで大人気のスナック菓子ドリトスは、園内で余ったトルティーヤ・チップスを捨てるのはもったいないという理由でディズニーランドで発明された。

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5.

昭和天皇はミッキーマウスに夢中だった。 愛用のミッキーマウス腕時計は、1975年のディズニーランドの特別ツアーでギフトとして贈られたもの。何年もの間、公務の時にもその時計を身につけているところが目撃されている。

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6.

ホワイトハウス同様、ディズニーランド上空を飛行することは禁止されている。いかなる旅客機であったとしても。

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7.

ウォルト・ディズニーはディズニーランドの開園日を「黒い日曜日」と振り返る。アトラクションはうまく動かず、塗りたてのアスファルトには女性のヒールが食い込み、排水管は破裂した。その他にも数えきれないほどのトラブルが降りかかった最悪の日だったそうです。

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8.

60年代後半まで、ロングヘアの男性は「ドレスコードに合わない」という理由でディズニーランドに入れなかった。

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9.

ディズニーランドで働く人は、2012年に規制が緩くなるまで、いかなるヒゲを生やすことも禁じられていた。

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10.

2007年、米国ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」は改装のため数ヶ月間の閉鎖を余儀なくされた。乗客が重すぎて、ボートが動かなくなったのが理由だそう。

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11.

ディズニーランドの記念すべき最初の来客は大学生のデーヴ・マクファーソン。来たはいいものの、デーヴは学校に戻るためにひとつもアトラクションに乗らずに帰った。

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12.

夜になると米国のディズニーランドは野良猫で溢れかえる。ディズニーランドにとっては、「ネズミ」を駆逐してくれる猫は都合がいいので、そのままにしてある。

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13.

米国のディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」の中に置かれているのは、本物の人間の骨。

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かつて米国のディズニーは、アトラクション「サブマリン・ヴォヤッジ」のためにマーメイド役として本物の若い女性を雇い水中を泳がせていた。

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米国ディズニーのプーさんの着ぐるみの中の人は、かつて「子供を叩いた」として訴えられたことがある。しかし陪審は、「子供を叩くにはコスチュームの腕が短すぎる」とし、無罪にした。

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米国ディズニーランドの常連客だったある女性は、「三匹の子ぶた」から食べ物を与えられ続けたことが理由で、25kgも体重が増えたとして、2,000万円の損害賠償を求めた。しかしぶたたちのコスチュームは器用に指先を動かせるようなものではないとして、この訴えは却下された。

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ウォルト・ディズニーはアルフレッド・ヒッチコックの園内で撮りたいという要求を突っぱねた。理由は「あのサイコっていう気持ち悪い映画を撮った」から。

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アトラクション「ホーンテッドマンション」のオルガンは、映画「海底二万哩」で実際にネモ船長役が弾いたもの。

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第33代大統領ハリー・S・トルーマンは大人気アトラクション「ダンボ」に搭乗することを拒否した。民主党のトルーマンは、共和党のシンボルであるゾウのアトラクションに乗りたくなかったそうです。

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ディズニーランドを建設する上でキーパーソンとなった2人の名前は、ハリソン・プライスとCV・ウッド。それぞれのニックネームは、バズとウッディだった。

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いかがでしたか?この事実を知った上でディズニーランドを訪れると、さらに別の角度から物事を眺めることができるかもしれませんね!