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男性が老人ホームで息を引き取ると、介護師たちの人生を変えた、あるものが見つかった。
老人ホームで生活する人たちは、家族や知り合いからの連絡や訪問を毎日首を長くして待っている人が多くいます。そして、その願いもかなぬまま亡くなってしまう人も。マック・フィリザーさんも、そのような老人の一人でした。介護師や施設のスタッフからは、「愚痴の塊」と呼ばれていた男性です。しかし死後、彼の部屋が片付けられていたときに一通の手紙が発見されました。
「介護師さん、何が見えますか?
私を見るとき、何を考えますか?
賢くもない気難しい老人で、
行動が読めず、いつも遠くを見つめてる。
食べ物をこぼし、返事もしない。
『頑張ってみましょうか?』と大きな声であなたは言う。
あなたがすることには何も気づかない様子で、
いつも靴下や靴を失くしている。
抵抗され、意に沿わない。
今日は入浴もある長い日だっていうのに?
何を考えているのですか?何が見えます?
目を開けて見て下さい、介護師さん。あなたは私を見てない。
あなたの指示を聞きながら、食べさせられながら、
じっとここに座りながら、私について少し話してみよう。
私は10歳の子供だった。父と母、
兄弟姉妹と共に愛されて育った。
私は16歳の少年だった。足取りは軽やかで、
いつか出会う愛について夢見ていた。
私は20歳の新郎だった。心を躍らせ、
愛を誓い、必ず幸せにすると約束した。
私は25歳の父親だった。子どものために、
安全で幸せな家庭を守った。
30歳。子どもたちが成長し、
絆は固く、永遠に続く気がした。
40歳。若い息子たちが巣立ち、
寂さは、妻が埋めてくれた。
50歳。孫に足を掴まれ、
妻と私は再び子どもとの生活を始めた。
そして失意に耐える日々がきた。妻が亡くなった。
未来を思い、私は不安に怯えた。
子どもたちはその子どもたちを抱え、
私は過ぎさった年月と愛を、懐かしむようになった。
今の私は老人だ。自然は残酷で、
老いた者を愚かに見せる。
体は壊れて、気品と活力が失われ、
心のあった所には、今は石がある。
でもこの体には、若い男がまだ宿っていて、
私のすでにボロボロな心は、何度も気持ちで溢れそうになる。
過ぎた幸せや、痛みを思い出すことで、
再び人生を愛し、生きることもできる。
そして、あまりにも短く、あっという間に過ぎていった人生を振り返りながら、
永遠が存在しないという厳しい現実を、受け入れようとしている。
だから目を開いて、見てください。
気難しい老人じゃない。
見てください、私を!」
マックさんのような思いをしている人々は、沢山います。歳をとった方々とのコミュニケーション、大切にしていきたいですね。
