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広島の原爆ドームを訪れた革命家【チェ・ゲバラ】 しかしボソッと呟いた言葉に記者は思わず2度聞きしてしまう

人類の負の遺産として語り継がれる広島の原爆ドーム。1945年8月6日広島、もともとは物産陳列館としての役目を果たしていたその建物の上空600メートルで原子爆弾「リトルボーイ」が炸裂しました。

原爆ドーム

原爆の炸裂後、たった1秒で3階建ての本体部分はほぼ全壊したと言われていますが、奇跡的に中央のドーム部分だけは崩壊をまぬがれ、現在までその姿をとどめています。残った建物は、決して忘れてはいけない戦争の記憶として、大切に保管されてきました。そして世界中の人々に、戦争の悲惨さを伝え続けているのです。

しかしその原爆ドームに1959年、ある意外な人物が訪れていたこと、ご存知でしたか?

広島の平和記念公園で献花されるのを見届けている男性…

キューバ革命の指導者、チェ・ゲバラではないですか!

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原爆ドームと、キューバの英雄…イメージがあまり結びつかないですよね?

実はゲバラはキューバ革命のわずか半年後、1959年7月25日に国立銀行総裁として、通商代表団を率いて日本を訪れていたのです。その時31歳でした。

広島訪問の予定はありませんでしたが、8月6日の原爆投下のあった日を目前にして、「ぜひとも献花したい」とゲバラが突然言い出したのが訪問のきっかけだったと言います。革命の指導者らしい、行動派です。

ゲバラは一緒に来ていた大尉と、在日キューバ大使2名だけを引き連れ、少人数で広島へ急行したと言います。

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ゲバラが原爆慰霊碑に献花する姿は、先ほども紹介した通り、しっかりと写真に収められています。ゲバラ一行はその後、ゆっくりと時間をかけて原爆資料館を見学したそうです。その際、通訳を担当していた県庁職員は、ゲバラの呟いた一言を強烈に記憶していると言います。

終始無言、神妙な面持ちで見学をしていたゲバラが突然英語で、こう尋ねてきたのです。

「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」

それは若き革命家が感じた純粋な疑問だったに違いありません。挑発したり、皮肉を言ったりするような感じではなく、純粋な子供のような目で素朴な疑問をぶつけられた通訳者は、思わずたじろいでしまったと言います。

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ゲバラは広島に滞在中、妻に宛ててこんな手紙を綴っています。

「愛する人へ。この手紙は広島、原爆の落とされた街から送るよ。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があって、合計18万人と推定されている。平和のために断固たる姿勢で闘うには、この地を訪れるのが良いと思う。ハグを送ります」

帰国後キューバを離れたゲバラが、ボリビアでのゲリラ活動中に政府軍によって射殺され、39年の短い生涯を終えたことは、多くの人がすでに知る通りです。

今もなお、キューバにとって8月6日と9日は忘れてはいけない日として記憶され、テレビの番組では広島と長崎のことが紹介されるそうです。

いかがでしたか?ゲバラのエピソードの数々は、伝記「チェ・ゲバラ伝 増補版」でもお読みいただけます。日本からは遠く遠く離れたキューバの英雄。しかし平和を願う気持ちには少しも違いがないのかもしれません。

プレビュー画像: / © Twitter/ yumiyam1