ちえとくをフォローする

トリビア

【息子を顧みず奔放に生きた毒母】フランスの伝説的セックスシンボル「BB」がお腹の我が子に対して放った言葉に血の気が引く

フランス映画史を代表する小悪魔女優ブリジット・バルドー。50年代・60年代のファッションアイコンであり、フレンチロリータの代名詞的存在として、絶大な人気を誇りました。

猫のような大きな美しい瞳に理想的な小さな鼻、少しめくれ上がったかのような豊かな唇、人形のような美貌にバレエで鍛えたカーヴィなメリハリボディ…セクシーでコケティッシュな大人の女性の色香と少女のようなあどけなさを併せ持つブリジットのありし日の姿は、今なお多くの人々の心を捕らて離しません。

フランスが誇るセックス・シンボルとして世界中から羨望と憧憬の眼差しを集め、名声を欲しいままにしていたブリジット。恋に奔放で男を惑わす魅力的なファム・ファタール(運命の女)の役柄がはまり役でしたが、私生活も映画さながら、華麗な男性遍歴で大いに注目を集めました。

16歳で最初の夫ロジェ・ヴァディムと出会い18歳で結婚したものの、夫が妻ブリジットのために監督し彼女の出世作となった「素直な悪女」の撮影中に共演俳優と恋に落ちW不倫の末、離婚。その後も己の感情に忠実に、途切れることなく数多くの男性との恋愛情事を繰り返しました。

「仕方なく貞節を守るより、不貞を働く方がましよ」と語っているように、恋の賞味期限が切れるとまた新たな恋を求め、どの恋もほとんどが前のパートナーと被っていたり複数同時進行ありきでした。

「料理だって一品だけではとても納得がゆかない、それは恋も同じ」

「恋をしていないと私は醜くなる」の名言を残したように、常に恋してときめいていたい超恋愛体質。たとえパートナーを愛していても、本能の赴くままに他の魅力的な男性との浮気を重ねるなど日常茶飯事でした。

当時のタブロイド紙に女ジゴロと書き立てられるほど恋多き女として知られたブリジット。恋に奔放なファム・ファタールを具現化するような、自分の欲望に純粋なまでに正直な生き方を貫いていました。

「頭のてっぺんからつま先までふしだら」と週刊誌『パリ・マッチ』に評されるほど、心の赴くままに自由に恋愛遍歴を重ねたブリジットですが、乱れた実生活とは裏腹に、持ち前の少女のようなピュアな外見的魅力が損なわれることはありませんでした。

自分の美貌と性的魅力を熟知し、欲しいものは何でも手に入れたブリジットですが、恋愛に絡んだ自殺未遂を繰り返すなど、精神的に不安定な面も持ち合わせていました。

「私にはひとりで寝ることなど、考えることすらできない」と語るように恋愛依存で、パートナーが兵役中に寂しさのあまり自殺未遂をするほど寂しがりや。そんなブリジットを心配したパートナーの1人、俳優のジャック・シャリエは子供が生まれればきっと寂しがりやで不安定な性格も落ち着くはず、と子供を望んでいなかったブリジットに子供を生ませることにします。ブリジット曰く「いつになく情熱的な」情事のあとで我に返った彼女は、いつものようにシャワーで洗い流そうと試みましたが、彼女との子供を望むジャックはそれを阻止。数週間後、妊娠に気がつきます。

いつまでも男性の羨望の的でありたいブリジットにとって、子供を産み母となるなど考えられない選択でした。ためらうことなく子供の父であるジャックに内緒でお腹の子供を堕ろそうとします。最初の夫との子供を17歳でスイスで堕胎するなど、10代で2度も人口中絶手術を経験したブリジットにとって、今回の妊娠の堕胎にもなんの迷いもありませんでした。

しかし当時フランスでは中絶は違法(1975年から合法)であり、大スターの中絶手術を請け負う医師はいませんでした。

どんどん大きくなるお腹を前にしたブリジットには、もう産む選択しか残されていませんでした。ジャックから子供を産み自分と結婚するよう説得され、ついに不本意ながら中絶を諦めます。

「鏡に映る、平らでほっそりした自分のお腹を見たときは、大切な友人の棺の蓋を閉めようとしているような気分だった」

自慢の細いウエストが変わりゆく様は、ブリジットにとってさぞかし耐えがたいものだったのでしょう。お腹が大きくなり胎動を感じるようになっても、ブリジットに母性が芽生えることはありませんでした。

後年、「子持ちになるくらいなら自殺したかった」とまで語っているほど、彼女にとってお腹の子供は「自分の恋愛中心の自由なライフスタイルを脅かす存在」でしかなく、実際に妊娠中に睡眠薬を大量摂取して自殺未遂を図っています。

「赤ん坊はまるで私から養分を吸い取って成長する腫瘍だった。私はこの腫瘍を厄介払いできるときだけをひたすら待ち望んだ」

自伝「イニシャルはBB」でお腹の子供を「腫瘍」呼ばわりするほど、妊娠出産はブリジットにとって忌まわしい体験でしかなく、悪夢ような出来事でした。ただ一刻も早くお腹の子供から開放されて、元のプロポーションに戻りたい…ブリジットはそればかりを願っていました。精神的に不安定なブリジットを支えるため、ジャックは「太陽がいっぱい」の主演を蹴ってつきっきりでサポート。2枚目スターとして将来を有望視されていたジャックに代わり、主役の座を手に入れたアラン・ドロンがスターとなったのは有名な話です。

妊娠中、マスコミの目を逃れアパルトマンの一室にこもったブリジットをパパラッチは執拗に付け狙いました。セックスシンボルである自分のイメージを損ないかねない大きなお腹の妊婦姿を写真に撮られることを極端に恐れたブリジットは、自室で出産することにします。

1960年1月11日、ブリジットは男児 ニコラを出産。分娩の痛みに耐え「望まない子供」を産んだブリジットは性別を伝える助産師に「(赤ちゃんを)2度と見たくもないわ、どこかに連れてって」と叫び懇願しました。「子供を産むくらいなら、子犬を産んだ方がマシだった」と後にインタビューで答えるほど、我が子の姿を見ても母としての本能が刺激されることはありませんでした。

出産当日、親しい友人がタブロイド紙向けに撮影した母子の写真。出産によりブリジットに母性本能が芽生えることを期待したジャックでしたが、女優ブリジットが息子に優しい母の眼差しを向けたのは写真撮影の間だけでした。

母親になることで世の男性を魅了してきた自分の代名詞であるセクシーでコケティッシュな魅力が失われることを恐れたブリジットは、母乳をあげることも拒否。そんな母の心境を察知してか、抱き上げるたびに大泣きするニコラに嫌気がさし、家族に養育を託し、もとの自由な生活へと戻ったのです。当然、気まぐれに会いにくる見慣れない母に赤ちゃんのニコラは懐くことはなく、そんな息子の姿にブリジットはますます足が遠のいていくのでした。

恋愛を謳歌する生活を再びスタートさせたブリジットは、産後まもなく撮影した映画で共演者サミー・フレイと恋に落ち、不倫の末ジャックとあっさり離婚。息子ニコラの養育を拒否し、ニコラは父と叔母によって育てられることになりました。ブリジットにとって子供は自由を奪う存在以外のなにものでもなかったのです。

幼い息子を顧みることなく、多くの男性との恋を何よりも優先させたブリジット。ときどき息子と面会してはいたものの、母子の間に絆が生まれることはありませんでした。

ニコラと過ごすバカンス先での一コマ。しかしそれはマスコミを通して優しい女性像をアピールするため、バカンスを過ごす母子の写真をタブロイド紙に掲載させるためでもありました。

我が子に腕を回しながらもどこか冷めたブリジットの視線は、母としての彼女の生き方を物語っているかのようです。

ニコラが12歳のある日、彼はブリジット宅を訪問。母子は久しぶりに1日を一緒に過ごすはずでした。しかし夕方から来客があることを理由にブリジットは息子とランチに行くことを拒否。息子に帰るよう告げます。深く傷ついたニコラは養母である叔母の待つ自宅へと涙を浮かべて帰宅。その後、数年間母と会おうとはしませんでした。

その後、母と子は幾度か関係を修復しようと試みますが、うまくいくことはありませんでした。1984年のニコラの結婚式の招待名簿に実の母の名前はなく、ブリジットは激怒します。

1996年に自伝が出版されると、実母の「腫瘍」発言に深く傷ついたニコラは訴訟を起こし、それ以降母子は絶縁状態に。

「息子は心に大きな傷を負っています。私たちの関係は親密さに欠け、相互理解に欠けるものであったことは確かです」とブリジットは語っています。

圧倒的な美貌と無二の個性で世界を魅了し、時代を象徴するアイコンとして伝説的人気を誇るブリジットですが、その華やかな男性遍歴の代償として息子の心に計り知れない傷を残した毒母であることは否めません。毎度のようにタブロイド紙を飾る、母の新しい恋人とのパパラッチ写真を子供時代の息子はどんな思いで見つめていたのでしょう。

「彼女は自分の毛皮のコートを愛してて、僕は自分の家族を愛してるんだよ」

インタビューで母との確執の原因について尋ねられたニコラは、熱心な動物愛護運動家として活動するブリジットを痛烈に皮肉っています。現在、妻の出身地であるオスロに暮すニコラ。自由奔放に恋に生きた母とは対照的に、温かな家庭を築き孫も生まれたそうです。

奔放に、自分に正直に激しく純粋な生き方を貫いてたブリジット。「さよならは言われる前に言うわ。決めるのは私よ」恋愛に関する彼女の発言は、もしかしたら別れる恋人に対する最後の思いやりからではなく、身勝手で自分だけが可愛い未熟さゆえのものかもしれません。

頭文字のB.Bにちなみ、同じ発音で「赤ちゃん」を意味するフランス語 bébéとかけた「BB」の愛称で親しまれたブリジットでしたが、お腹を痛めて産んだ自分の赤ちゃんを愛することはありませんでした。

人々の羨望と憧憬を集め愛される存在でありたい…「恋をしないと私は醜くなる」の言葉のように、自分を愛してくれる男性を渡り歩いたブリジット。多くの男性からの愛と抱擁を求め続けたブリジットの姿に、本能的に母の温もりを求め手を伸ばす赤子の姿が重なります。

結局のところ、「BB=赤ちゃん」と呼ばれた彼女自身、自分が一番可愛いだけの「大きな赤ん坊」だったのかもしれません。

プレビュー画像: ©️pinterest/popfashionnewsblog.wordpress.com, ©︎pinterest/ghastlydelights.tumblr.com