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今もわらべ歌として残る残酷物語 200年前の英国エディンバラの連続殺人事件

どの国、どの街にも身の毛もよだつような怖い伝承が残っています。かつてその土地で起きた恐ろしい出来事が、何世紀にもわたって語り継がれ、物語や童謡として後世に伝えられるのです。

19世紀、ヨーロッパでは安価な本の印刷が可能になり、さまざまな本が作られるようになります。なかでも人気を博したのが怪奇小説。その土地に伝わる伝承や空想から生まれた怪談が本となり、庶民の娯楽となったのです。現在、映画やテレビで目にする古典的なホラーやモンスターの多くは、ここで生まれたものです。

しかし、怪奇小説のなかには伝承や空想からではなく、実話に基づく物語もありました。特に有名なのが、1828年にスコットランドのエディンバラで起きたバークとヘアーの連続殺人事件(ウェストポート連続殺人事件)です。実話でありながら、その後、わらべ歌や小説となり、映画化までされたこの事件、いったいどんな事件だったのでしょう。

19世紀初頭、英国社会は産業革命で混沌としていました。貧富の差が進み、労働者階級の人々の多くは凄まじいほどの貧困状態にありました。

もう一つの事件の背景が医学の進歩。近代医学の進歩に伴い、解剖が推進されたものの、当時の法律では解剖に使える死体は重犯罪で処刑された犯罪者に限定されていました。そのため、解剖用の死体は常に不足している状態。大学は、学生たちが研究するための死体を手に入れるために、法律的にグレーな領域で動いていました。

当時、大学が身元不明の新鮮な遺体を高額で購入することは常識だったため、墓荒らしが横行していました。埋葬されたばかりの故人の親族は、墓地を守るため、武装して墓を警護することもあったそうです。

この状況を金儲けのチャンスと考えたのが、ウィリアム・バークとウィリアム・ヘアーの2人でした。二人はエディンバラのウェストポート地区に住む友人同士。ヘアーは安宿で部屋貸しをしており、バークとその愛人ヘレンはそこに間借りする下宿人でした。

最初の事件は1827年、下宿人の一人が急死したとき、ヘアーはその遺体を棺桶から盗み、エディンバラ医学校の解剖学教師ロバート・ノックス教授に7ポンド10シリングで売ったのです。そのとき、遺体運搬を手伝ったのがバークでした。

新鮮な遺体ほど高く売れるとノックス教授に聞いた二人は、病弱な下宿人ジョセフが死ぬのを待っていました。しかし、ジョセフはなかなか死にません。そこで、バークとヘアーはジョセフに大量のウイスキーを飲ませて酔わせた後、窒息死させたのです。これが最初の殺人でした。

その後、バークとヘアーはスラム街に繰り出し、さらなる犠牲者を探します。翌年、二人は妻や愛人の助けも借りて、合計16人も殺害し、その遺体をノックス教授に売り渡しました。

欲に駆られた彼らは、徐々に見境なく殺人を犯すようになります。地元で名の知られた人物にまで手を出してしまったのです。あるとき、ノックス教授の学生たちは、解剖台の上にいるのが娼婦メリー・パターソンだと気づきました。メリーが最後にバークと一緒にいたことが分かっていたため、バークとヘアーは警察に怪しまれるようになります。ノックス教授は警察が来る前に遺体を消して被害者の身元を隠蔽。ノックス教授が二人の犯罪を知りながら、見て見ぬふりをしていていたのは間違いないいと考えられています。

1828年のハロウィーンの日、彼らは最後の犠牲者であるマージョリー・キャンベル・ドチャーティをバークの家に誘いました。マージョリーは下宿人のグレイ夫妻の友人です。

翌朝、不審に思ったグレイ夫妻がベッドの下にマージョリーの遺体を発見します。ヘアーの愛人ヘレンはグレイ夫妻を金で買収しようとしますが、夫妻は警察に通報。しかし、警察が家の中を捜索した時には、バークとヘアーはすでに遺体をノックス教授のもとに運んでいました。

その後、バークとヘアー、そしてヘレンは逮捕されました。マージョリーの遺体はノックス教授の解剖室で発見され、さらに他の行方不明者との関連も立証され、彼らはすぐに法廷に立つことになりました。

しかし、衝撃的な殺人事件の裁判は、確実な証拠がほとんどないために難航しました。

犯行の十分な証拠がなかったため、担当検事はヘアーに犯行の自白とバークの犯行に関する証言を促し、代わりにヘアーの訴追を免除しました。その証言により、バークは死刑を宣告され、絞首刑となりました。バークの遺体は皮肉にも彼自身が多くの犠牲者を売った解剖室で解剖されました。彼の骨格標本は今もエディンバラの医学史資料室で見ることができるそうです。

一方、訴追を免れたヘアーは釈放され、スコットランドからイングランドに逃亡しました。その後、彼がどうなったのかは誰も正確には知りません。暴徒が彼をリンチして殺したという人もいれば、ロンドンの街で盲目になり物乞いをしている彼を見たという人もいます。

ノックス教授も、殺人が行われていたことを知っていたかどうかは立証されませんでした。しかし、彼の評判は地に落ち、スコットランドを去ることになりました。

この事件はその後の法案起草にも大きな影響を及ぼしました。この事件の噂が広がり、模倣犯がロンドンに現れると、ついに英国議会が対策を講じたのです。1832年に起草された法律により、研究用に提供された遺体で医学を教えることができるようになったのです。こうして遺体の違法売買は歴史の闇に消えていきました。

その後、エディンバラの歴史に残る殺人者バークとヘアーは、「バークは肉屋でヘアーは泥棒、ノックスぼっちゃまは肉を買う」という何とも不気味なわらべ歌になって、時代を超えて受け継がれています。

さらに、この事件は、手っ取り早く金儲けをするチャンスに遭遇した人間がどれほど残酷なことができるかを想起させるモチーフとして、数多くの小説や演劇、映画を生み出しました。

 

プレビュー画像: ©Facebook/Broad Hinton Village Hall