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トリビア

「なぜこの街は臭わない?」征服者たちを驚かせたアステカの都テノチティトラン

アステカ帝国は14世紀から1521年のスペイン人による征服まで北米のメキシコ周辺で繁栄した国家です。

日本で言えば、室町時代から戦国時代ですが、アステカの人々の暮らしはほとんど分かっていません。なぜなら、1521年にアステカの都テノチティトランは、スペインの征服者たちによって徹底的に破壊されてしまったのです。

過去500年の間、テノチティトランの遺跡は、メキシコの首都メキシコシティーの地下に眠っていました。その遺跡の調査が進められた結果、当時の人々の暮らしが少しずつ明らかになっています。

テノチティトランは、現在のメキシコの標高2240mのテスココ湖に浮かぶいくつかの島に位置する湖上都市でした。1320年から1350年の間に建設され、16世紀には当時世界最大級の都市に発展しました。

活気あふれる大都市

当時のテノチティトランには、15万〜20万人の人々が暮らしていたそうです。比較すると、当時のヨーロッパでこれほど多くの人口を抱えていたのは、185,000人ほどのパリだけです。

しかし、16世紀のパリは非常に不衛生な街でした。ゴミや糞尿は路上に捨てられ、その悪臭が街中に漂っていたと伝えられています。

清潔な都

スペイン人のエルナン・コルテスは、1519年にアステカ皇帝モクテスマ2世の賓客としてテノチティトランを訪れた際、すぐに「におい」の違いに気が付きました。この街はヨーロッパの主要都市よりもずっと清潔で、当時の大都市にありがちだった悪臭が漂っていなかったのです。

テノチティトランは湖の湖岸と複数の橋で結ばれており、都市には無数の水路が築かれ、水道橋から新鮮な水が供給されていました。また、道路は毎日、独自の道路清掃サービスによって掃除されていました。

さらに、街の中心部には、5×3メートルのプールを備えた豪華な蒸し風呂の浴場があったことが発掘で明らかになりました。アステカ族は、大変な綺麗好きだったのです。

破壊された歴史的建造物

しかし、1521年、エルナン・コルテス率いるスペインの征服者たちは、この文明の成果を完全に破壊しました。そして、破壊された家々の瓦礫で淡水運河を埋め尽くしたのです。そして、廃墟の上に新しい家が建てられました。

アステカを征服したスペイン総督府は、1535年、テノチティトランをスペイン総督府の首都と宣言しました。廃墟の上に建てられた街は現在ではメキシコシティとして知られています。

かつての大都市の面影を知ろうと、今も瓦礫の下の調査は続いていますが、都心であるがゆえに完全な発掘は望めないと考えられています。

16世紀という早い時期に道路清掃や水道の整備が行われていた壮麗な大都市がそのまま残っていたら…現在どのような姿になっていたのでしょう。残念なことに誰もその全貌を知ることはできません。

出典:welt
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