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アンビリーバボー

感染症の恐怖が生んだ「アメリカ最後の吸血鬼」19歳だったマーシー・ブラウンの悲劇

かつて世界的に流行し、多くの死者を出した伝染病「結核」。

極度の疲労感と血の混じった咳などが主な症状で、感染した人はゆっくりと(ときには急激に)衰弱し、死に至る病気です。1882年、ドイツの医師ロベルト・コッホが結核の原因となる結核菌を発見し、その後、BCGワクチンや化学療法が確立するまでは、「不治の病」と呼ばれ、恐れられていました。

感染や衛生、予防についての知識のない当時、この不治の病については噂や迷信がまことしやかに囁かれ、結核患者に対するさまざまな差別も生じていました。欧米で結核が流行した時代にバンパイヤ(吸血鬼)伝説が生まれたのは決して偶然ではありません。

結核で青ざめて血を吐く人々が次々に現れ、医者にも助ける術がない現実を目のあたりにして、当時の人々が邪悪な力の作用を信じたのは無理もないことでした。

そんな人間心理が生んだ悲劇の物語をご紹介しましょう。

1884年、アメリカ東海岸のロードアイランド州エクセターという小さな町で、メアリー・ブラウンという女性が結核で亡くなりました。

その後、ブラウン一家は次々にこの病に襲われます、数年後に長女メアリー・オリーブが亡くなり、その3年後に、息子エドウィンも病に倒れます。エドウィンは長男であったため、1年間の温泉療養にいくことができましたが、病状は悪化の一途をたどっていました。エドウィンが療養から戻った年、エドウィンの19歳の妹マーシー・ブラウンが亡くなり、父ジョージは絶望していました。

結核は強力な感染症なので、ひとつ屋根の下で暮らす家族が次々にかかることは珍しくありません。しかし、一般の人々の医学的知識は乏しく、民間伝承や迷信も根強かった当時のこと、小さな村に「ブラウン家は呪われている」という噂がどこからともなく立ったのです。そして、「ブラウン家で亡くなった家族の一人は実は不死の吸血鬼で、家族の血を吸い、一人ずつ衰弱させて殺している」という噂にエスカレートしていきました。

妻と娘二人を亡くしたジョージ・ブラウンは、最初は信じようとしませんでしたが、親戚や近所の人に説得され、病で衰弱していく息子のために、ある決断を下します。それは、家族の墓をあばき、吸血鬼にとどめをさすこと。

父親と村民に頼まれ、医師として調査にあたることになったハロルド・メトカーフ博士は、1892年3月17日の朝、ブラウン家の地下室の墓を開け、遺体を調べました。そこで、医師はメアリーと長女の2体の骸骨、そして、まるで生きているかのような次女の遺体を発見。死後9週間経ってもマーシー・ブラウンの遺体はみずみずしく、埋葬時よりも爪や髪の毛が伸びた形跡すらあったのです。

メトカーフ博士は詰め寄る村人に、マーシーは吸血鬼ではなく、単に冬の厳しい寒さの中で埋葬されたので遺体が保存されていただけだと説明しました。

しかし、父親ジョージと村人たちはマーシーが吸血鬼だったと確信し、マーシーにとどめを刺すために遺体の胸を切開し、心臓と肝臓を取り出し、臓器を燃やすことに…。

そして、父親は燃やして残った灰を水に混ぜたものを薬として病気のエドウィンに飲ませます。吸血鬼に吸われた血を戻せば治るという治療法が当時、信じられていたのです。しかし、治療の甲斐なく、2ヶ月後にはエドウィンも帰らぬ人となりました。

マーシー・ブラウンは、米国で「吸血鬼」として墓を暴かれ、遺体を切り刻まれた最後の人物です。彼女は「アメリカ最後の吸血鬼」として歴史に名を残し、その墓は今も観光客に公開されています。

わずか200年前の米国で、感染症の不安による集団ヒステリーの中で起きた悲劇の事件、いかがでしたか?

感染症が人々を不安と恐怖に陥れ、真偽の不確かな情報が飛び交い、差別や偏見が生じる状況は、実は現代の私たちが今まさに経験していること。恐怖から解放されたいという気持ちは誰しも同じ。でもその思いが強すぎて、視野が狭くなってしまわないように自戒していかなければ…マーシーの悲劇が教えてくれるような気がします。

プレビュー画像: ©Facebook/Curious Nick