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アンビリーバボー

DNA鑑定で58年ぶりに 2歳児の遺体の身元が判明

意:この記事には、人によっては不安を感じる内容が含まれています。

この世で子どもの死ほど辛いものはありません。特に、その死が犯罪による場合…。

しかし、殺害された子どもの身元すら確認できないとしたらどうでしょうか。実際、DNA鑑定が実用化される前は、被害者の身元を特定できない事件は珍しくありませんでした。そのような事件は、担当捜査官にとっては生涯忘れられず、風化させたくない事件となります。

最近、半世紀以上の年月を経て、そのような悲しい事件のひとつが解決しました。

1963年にアメリカ・オレゴン州ジャクソン郡でこんな事件がありました。小川で釣りをしていた男性が子どもの遺体を発見。その子は服を着て毛布を何重にも巻きつけられていました。さらに、遺体が水から浮いてこないように針金で重い鉄板を付けられていました。

水に浸かってから時間が経っていたので、顔の形はわかりませんでしたが、体は小さく、年齢は2歳にも満たないくらい。髪はブロンドで、白のストライプの入った赤いセーター、グレーのコーデュロイのズボン、白い靴を履いていました。

警察はこの子の身元を確認しようと衣服などを公開し、情報を集めましたが、子どもの行方不明届けは出ておらず、手がかりはつかめません。結局、名前も身元もわからず、死亡の状況も明らかにされないまま、この事件は1ヶ月後には迷宮入りとなりました。

そして、時は過ぎ、2009年。45年前の悲しい事件に光を当てようという試みが行われました。捜査当局は遺体の頭蓋骨を使って顔の模型を作り、その写真をネット上に公開しました。さらに、その子のDNAを解読し、既存のデータベースと比較しました。しかし、一致するものはありませんでした。

しかし、この未解決事件の捜査官たちは諦めませんでした、それからさらに10年後、捜査官は検死官を通じて、この被害者のDNAを最新システムでをもう一度調べてほしいと依頼したのです。

そしてようやく手がかりが得られました。遺体が発見されてから58年後となる2021年、遺伝子系図学者のセセ・ムーアが少年の近親者と考えられる男性を見つけたのです。その男性は、1960年代初頭に自分に弟がいたことを覚えていると捜査官に話しました。

弟はスティービーという名前で、ダウン症に似た障害を持っていました。スティービーはある日突然姿を消し、家族の誰もそのことを兄に説明しませんでした。出生記録から、1960年10月2日に生まれたスティーブン・アレクサンダー・クロフォードという男の子がいたことがわかりました。兄はDNAサンプルを提供し、分析の結果、亡くなった男の子が彼の異母弟であることが確認されたのです。

身元不明の子どもの名前は「スティービー・クロフォード」だということが、事件から半世紀以上経ってようやく判明した瞬間でした。

スティービーの死因は明らかになっていませんが、両親の手によるものではないかと考えられています。今から60年前には、障がい児への風当たりは今よりもずっと厳しいものでした。

両親は罪を隠蔽し、子どもの遺体を川に捨て、兄に何が起きたのかを説明することはありませんでした。しかし兄は弟の存在を忘れることができませんでした。

スティービーの両親はすでに亡くなっています。これ以上のことはわからないため、事件はこれで幕引きとなりました。

あまりにも短すぎる人生の悲しい物語に心が痛みます。それでも、スティービーの兄が小さな弟を忘れずにいたことは幸いでした。スティービーが名前もなく忘れ去られることを回避できたのですから。

スティービーは家族の墓に埋葬されることになりました。疑問は残るものの、半世紀以上の時を経て、幼いスティービーを家族の元に返せたことは、捜査員たちにとっても喜ばしいことです。「彼は自分の名前で埋葬され、家族とつながることができました。とても晴々とした気分です」と担当捜査官は語っています。

出典: abcnews

プレビュー画像:© Facebook/Unidentified And Missing People © Facebook/Gabriel’s Tree: A Tribute to Abused, Missing and Murdered Children