【9000人の命を救った娘】民宿を経営する幸せそうな夫婦の笑顔の裏に隠された辛く悲しい記憶。

宮城県・南三陸町で民宿を経営する夫妻がいます。遠藤清喜さんと妻の美恵子さんです。2人が経営するのは、自宅のすぐ近くにある高台に立てた小さな宿です。 1日1組限定の民宿で、南三陸の港で漁師の清喜さんが釣ってきた美味しい魚介類をふんだんに使った料理が売りです。民宿に泊まりに来るゲストとの団欒もまた2人にとってささやかな楽しみです。

 

Facebook/10歳のあなたへ

遠藤夫妻が経営する宿の名前は「未希の家」。「未希」とは遠藤さんの娘さんの名前で、この宿は既に他界された愛娘を思い、2人が2014年7月にオープンしました。実は2人がこの宿に亡くなった娘さんの名前をつけたのには深い理由があります…。 

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親思いだった遠藤未希さん(当時24歳)は、両親の側に居られるように地元での仕事を選び、専門学校を卒業後、町役場に就職しました。2010年には結婚し、順風満帆な人生を送っているように思えた矢先の2011年3月11日、南三陸町がある東北地方を大地震が襲います。

その直後に危機管理課で働く遠藤美希さんの声が大地震に見舞われた後の町に鳴り響きました。

「津波が襲来しています。高台に避難してください」災害の際に防災行政無線で住民に避難を呼びかける役割に責任を感じていた美希さん。先輩である課長補佐の三浦毅さん(当時51歳)と共に、必死で住民に至急避難するよう呼びかけます。

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冷静で聞き取りやすい声で約6メートルの津波の襲来を放送する美希さん。予想される津波の高さが6メートル以上から10メートル以上に引き上げられても、なお放送を続けました。未希さんが働く町役場の高さは12メートル。10メートル級の津波がきたら、町役場も危険だということは未希さんも予測できたはずです。それでも彼女と上司の三浦さんは持ち場を離れず、住民に避難を呼びかけ続けました。上司や同僚から「上へ上がって」と避難の指示があってもなお、放送をやめませんでした。そして、ついに未希さんのいる町役場は津波にのまれてしまいます。 下の動画で遠藤未希さんの実際の津波警報を聞くことができます。

地震から約1ヶ月後の4月23日、捜索隊により志津川湾で遠藤未希さんの遺体が発見されました。結婚した夫がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを夫が遺体の写真で確認しました。未希さんと一緒に最後まで避難放送を続けた三浦毅さんの遺体は現在まで見つかっていません。

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 東北大震災では南三陸町だけで700人を超える死者・行方不明者が出ました。しかし、未希さんのような方々の努力の甲斐あって、9000人以上の町民が避難所に退避することができました。津波を間一髪で免れることができた町民の中には、未希さんの呼びかけで高台を目指した方が数多くいたそうで、その中には「彼女の緊迫した声に避難を決意した」という方もいます。録音放送を使えばよかったという意見もありますが、未希さんの鬼気迫る声が住民の避難を促したという見方があるのもまた事実です。

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遠藤夫妻は「悲しみは消えませんが、娘とともに歩む民宿で精一杯頑張っていきたい」と語ります。宿泊客には津波の恐ろしさを伝え、津波の際にはより高いところに逃げるようアドバイスをしているそうです。未希さんが身を挺して体現した「生きることの大切さ」を民宿を通して人々に伝えていくことで、娘さんのように津波で失われる命を少しでも減らすことができればと、これからも「未希の家」に訪れるゲストを日々温かく迎えます。

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