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母親が三つ子を抱くのを許されたのは、生まれてから一週間がたった後だった。しかしそこには2人しかいなかった。

ジャーナリストのステイシー・スクレサクは、世界各地を旅する生活を続けた後に夫のライアンと出会い結婚、夫婦はアメリカのイリノイ州に落ちつきました。ステイシーは結婚後間もなく三つ子を妊娠します。経過は順調だったものの、多胎妊娠出産は母子ともに大きなリスクを伴うものです。三つ子(男の子が1人と女の子が2人)は予定日よりも17週間も早く超未熟児として生まれてきました。夫婦は三つ子の生還を信じて希望を持ち続けましたが、残念なことに女の子のうちひとりは生まれて間もなく亡くなり、残りの二人も命が危険な状態が続きました。トレイシーとライアンにとって、それは不安の緊張の毎日でしたが、NICU(新生児集中治療部)のスタッフからの献身的なサポートに大きく支えられたといいます。トレイシーは、看護師たちに宛てて、深い感謝の気持ちを綴った文章を退院後に投稿しています。

facebook/Stacey Skrysak

「NICUのナースたちへ、

奇跡を届けてくれてありがとう。

NICUの世界は、一部の人しか知らない。そこは、危篤の赤ん坊たちに闘うチャンスが与えられ、私の家族が4が月に渡って家と呼んだ場所だった。NICUでの経験は、恐ろしいこともある。数時間単位、数分単位で命が測られ、一瞬にして人生が変わってしまうこともある。私にとっては、生と死がぶつかり合い、子供を家に連れて帰る喜びが子供を看取る悲しみに迎えられるような場所だった。三つ子のうち二人が病院の外の世界を見ることなく亡くなってしまったものの、NICUには永遠に感謝し続ける。そこは奇跡が起こる場所で、私が「奇跡の人」と呼ぶ人々が働いていた。

facebook/Stacey Skrysak

三つ子を出産した翌日、一人目が亡くなった数時間後に私はICUのベッドで目覚めた。容態が悪く、残りの二人に会いに行くことができない私のために、ナースのひとりが子供たちの写真を撮り、その命の奇跡を私が寝ているベッドまで見せにきてくれた。子供たちに初めて合わせてくれたナースに感謝を伝えたい。

出産後の数日間、肉体はNICUにありながら、頭は霞がかかったようにぼんやりしていた。半透明の1ポンド(約450g)の体を見たときに受けた衝撃に、私は圧倒されていた。体が言うことを聞いてくれなかった。17週間以上早く生まれた子供の生存率は高くない。私は子供たちを生かしている機械を見つめながら、罪悪感に押しつぶされそうになっていた。そんな中、ナースたちに何かを意見されるようなことは一度もなかった。ただ優しく、私を安心させるように、ペイトンとパーカーのケアを担当しているスタッフの腕は信頼できるとだけ伝えてくれた。希望を与えてくれて、ありがとう。

生後一週間を迎えた子供たち、その呼吸する度に上下する胸や小さくも完璧な目鼻立ちを信じられない思いで眺めている私に、あなたは笑顔で歩み寄ってきた。そして私を見つめてこう言った。「娘を抱く準備はできた?」私は目を大きく見開いたまま、言葉を発することもできずに頷いた。わずか16オンス(約450g)の娘を初めて抱いたとき、彼女のミニチュアな小さい手が私の胸に触れた。その記念すべき出来事を与えてくれて、ありがとう。心に刻まれたこの瞬間を、私は一生忘れない。

子供たちが5週間目を迎えたころ、私は夫とカンファレンス室に座り、いつものように子供たちの進捗報告を受けるのを待っていた。しかし告げられたのは、息子が脳に損傷を受けたとの衝撃的な事実だった。医師越しにあなたの顔を見たとき、その目にも悲しみと不安が見てとれた。子供たちが待つ部屋へと戻り、何も知らずに穏やかに眠る美しいパーカーの姿を見下ろしながら、私は泣き崩れた。そのとき、嗚咽を上げる私に、あなたはティッシュを手渡してくれると同時に静かにハグをしてくれた。いかなる言葉も慰めにならないその状況で、そのとても単純な行為が大きな違いを生んだ。私たちにとって人生最悪のその日に、一番必要としてた慰めをくれて、ありがとう。

facebook/Stacey Skrysak

それから2週間後の8月16日、息子の体から医師がチューブやワイヤーをすべて取り除くのを私たちは見守った。そしてパーカーを腕の中に抱きながら、彼とお別れをした。パーカーが最後の瞬間を迎えようとしていたそのときもナースたちはそこにいてくれた。写真を撮ってくれたり、休日にも関わらず、私の家族を心配して電話をかけてきてくれたスタッフもいた。あなたが肩においてくれた手の感触を、私はちゃんと覚えている。悲観に暮れる私たちを見守り、一緒に別れを惜しんでくれて、ありがとう。

それから数週間経って、ペイトンが危機を脱した。ペイトンのためにも、私は悲しみの気持ちと前進する力をバランスさせることを覚えていった。それに応えてくれるように、ペイトンは私たちに、いつか彼女をつれて家に変えれるかもしれないという希望を与えてくれた。笑いも増え、娘の表情を写真に収めながら、娘を着替えさせてくれながら、あなたは大きな笑顔を浮かべていた。私たちは、娘とNICUで過す明日を待ち望むようになり、外での生活について話しながら将来に目を向けるようになっていった。希望を与えてくれ、普通とはほど遠い状況にありながらも、私たちがそれを感じさせないように気を使ってくれて、ありがとう。

facebook/Stacey Skrysak

荷物をまとめながら、ナースたちが作ってくれた名札を見たとき、興奮と悲しみの気持ちが私を襲った。私たちにとっては第二の家となっていたその場所を去ることを、改めて実感した。そこで出会った新たな友人たちや、危機的な状況においてはまるで家族のような存在として私たちを支えてくれた人々とも、お別れするときがやってきた。私たちが病院を出るときくれた声援や笑顔は、偽りのない心からのものだった。ナースたちはNICUを訪れる赤ん坊一人一人に、本当に心から献身している。

ここでの私たちの時間に違いをもたらしてくれたのは、私たちの人生を変えたのは、ナースたちだった。子供たちをケアしてくれた彼らに、心の底からの感謝を伝えたい。私が子供たちの側にいられない時間、代わりに子供たちの親となってくれて、ありがとう。一緒に笑ってくれて、泣いてくれて、悩みや愚痴を聞いてくれて、ありがとう。あなたにとっては、仕事をこなしているだけかもしれない。でもあなたは、出会う家族それぞれの命と人生に触れている。NICUのナースには、特別な人しかなれない。

私の子供たちの奇跡の人になってくれて、ありがとう。」

facebook/Stacey Skrysak