死にゆく子供が母親に遺した最後の言葉

アメリカのメリーランド州在住のルース・スカーリーの息子、ノーランの病気が判明したのは2歳のころでした。 最初は単なる鼻風邪かと思っていた症状が悪化し、息をするのも難しい状態に陥ってしまった息子をルースは病院に連れて行ったそうです。検査の結果、横紋筋肉腫と呼ばれる悪性の腫瘍が発見されました。

それから約1年半後、4歳になったばかりのノーランはルースの腕の中で静かに息を引き取りました。悲しみに打ちのめされながらも、ルースは病院で息子の最期の瞬間についてFacebookに綴っています。

「転移性で胎児胞巣混合亜型の横紋筋肉腫はものすごい勢いで移転し、あらゆる治療に耐性を見せていたため、治療は困難であることを告げられました。これからは、急速に衰弱していくノーランをできるだけ苦しませないようにしてあげるつもりだとも言われました。

その後、気持ちを落ち着けてからノーランの部屋に戻りました。ノーランは『ママの赤い椅子』に腰掛けながら、タブレットでYouTubeを見ていました。私は隣に座り、ノーランの頭に自分の頭を寄せて話し始めました。

私: ねえプート(ニックネーム)息をするのも辛いのね?

ノーラン: ええと、うん。

私: すごく痛いのね?そうでしょ?

ノーラン: (うつむきながら)うん。

私: プート、もうガンと戦わなくてもいいのよ。

ノーラン: (嬉しそうに)いいの?でもママのために続けるよ!

私: えっプート!これまでの治療もずっと頑張っていたの?

ノーラン: そうだよ。

私: ノーラン・レイ、ママの仕事は何?

ノーラン: 僕を守ること!(大きな笑顔で)

私: ママの可愛い子...もうそれはできないの。あなたを無事安らかに守ることができる場所は天国なのよ。(私の胸は潰れる思いだった)

ノーラン: じゃあ、天国でママが来るまで遊んでるよ。ママも後から来るんでしょ?

私: もちろんよ!そう簡単にママから逃げられないわよ!

ノーラン: ありがとう、ママ!ハンターとブリーとヘンリーと一緒に遊んでくるね!

翌日ノーランはよく眠り、それからの日々も大半は眠っていました。ホスピスの協力を得て、点滴薬などを用意し、DNR(蘇生措置拒否の書類)のサインも済ませていました。(息子のためのDNRシートを記入する時の気持ちはとても説明できません。)ノーランが起きたとき、すでに荷物はノーランを家に連れて帰るためのバンに詰め終り、私はノーランの靴を手に持っていました。私たちは一晩だけでもいいから、自宅で過ごしたかったのです。ノーランは寝起きに私の手をとってこう言いました。

『ママ、大丈夫だよ。ここでも良いよ』

4歳のヒーローは、私の負担を少しでも減らそうと気をつかってくれていました。

夜の9時頃、私はシャワーに入っていいかノーランに聞きました。ずっと一緒にいて離れないことを約束していたからです。

『ええと、いいよママ。クリスおじさんに一緒に座ってもらう。こっちを向いていればママのことは見ていられるから』

バスルームの入り口に立って、ノーランの方を向いて言いました。

『プート、こっちを見ているのよ。すぐ出て来るから』

ノーランが微笑んだ後にドアを閉めました。このドアが閉まった音と共にノーランは深い眠りについたのです。

私がバスルームのドアを開けると、皆がノーランのベッドを囲み、私の方を向いて涙を浮かべていました。

『ルースさん、深い眠りについています。もう何も感じていないようです』

右の肺が潰れて酸素量が急激に落ちていたノーランの呼吸は荒く、苦しそうでした。

私はベッドに駆け寄り、ノーランの顔の右側にそっと手を添えました。そのとき、忘れることのできない奇跡が起こりました。

ノーランが大きく呼吸したかと思うと、目を開けて私に向かって微笑み、『I love you mommy. (ママ、愛してる)』と言ってくれたのです。

11時54分リン・ノーラン・スカーリーは、私が『ユー・アー・マイ・サンシャイン』を耳元でそっと歌う中、顔を私の方に向けて亡くなりました。

息子は昏睡状態から目覚めて、笑顔で私に愛していると伝えてくれたのです!」

親にとって、かけがいのない我が子の喪失は言葉に尽くせないほどの絶望と悲嘆をもたらす辛い経験です。母子のかけがえのない瞬間を世界中にシェアしてくれたルースに、どうか心の平穏が訪れますように。

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