【食事中は閲覧注意】日本中でたった1人、毎日排泄物を「調理」し続けた男性の異様な一生。しかし彼の研究成果は人類を飢餓から救う手段になるかもしれない!

世の中には、一生をかけてひとつの夢を追い続ける人たちがいます。他人の目には理解しがたい異様な執念に取り憑かれた姿と映ることもあるかもしれません。

特に一般人には理解しがたい分野で夢を追い求める人々は、周囲の好奇の目に晒されることもあるでしょう。しかしそんな他者の目を気にすることなく、ドン・キホーテのように邁進し続ける姿は爽やかな感動さえ与えます。例えば、「うんこ博士」と呼ばれた中村浩博士のように。そのニックネームが示すように、彼の研究分野は人間の排泄物。彼の夢は排泄物を有効活用して世界から飢餓をなくすというものでした。

YouTube/たけし・さんま世界超偉人伝説

なぜ、よりによって排泄物を研究しようと思ったのか、そのきっかけは彼の子供時代に遡ります。

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1910年東京本郷富士前町に次男として生まれた中村は、5歳のとき野山を駆け回っていたとき肥溜めに落ちてしまいます。汚物まみれになった中村は、近所の農家の助けで事なきを得ますが、この時の経験は、「ウンコのホトケサマは、わたしに乗り移った」と中村がのちに著書で述べるほど、中村少年の心に大きな衝撃を残したのです。

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以来中村少年は、自らのうんこを観察し、冬は馬糞に手を入れて暖をとるなど、うんこに並々ならぬ関心を持ち始めます。

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中学1年になった中村少年に父親は最高のプレゼントを贈ります。それは顕微鏡でした。もちろん中村少年は自らのうんこを子細に観察しはじめ、うんこに繁殖する細菌の存在を知ります。帝国大学理学部に進んだ中村少年は、初の論文となる『狸のためグソの観察とその記録』を執筆、卒業後も研究助手として大学に残り、藻類、細菌、うんこの研究を続けます。

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23歳で結婚した中村は、古本屋で運命的な本と出会います。それはスイフト著『ガリバー旅行記』。「人糞をこねまわしてパンを作る工夫に大わらわになっている学者」を描いたくだりを読んで、「これこそわたしに与えれた天の使命であると確信した」とうんこの食料化を命題として打ち込み始めたのです。

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当時女子大の教授として勤めていた中村は、その日から研究室で排泄物を調理する日々が始まりました。焼いたり、すり潰したり、煮たり…この頃中村は夜遅く帰宅すると妻から風呂場へ直行を命じられるほど臭いを発していたと言います。なんども実験を繰り返すうち、なんと中村は便を無臭の白い粉末に、尿を透明な飲料水に変えるまでに至りました。

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しかし糞尿をただ食べられるものに変えたというだけでは、本当の食料化には程遠いと中村は感じていました。栄養価のある食料を作るにはどうしたらいいのか…中村は壁にぶち当たりました。

そんなとき、金魚鉢の金魚を眺めていた中村は気づきます。金魚はフンをして、このフンが肥料となって藻が生え、藻は太陽のエネルギーで有機質を作り出す。再び金魚は藻を食べる、このエネルギーの循環に目をつけたのです。そして糞尿のスープによるクロレラの培養に成功します。

1959年、中村は日本学術会議代表としてインドでの「国際藻類学会」に招待されたのを機に、世界各地を数年間漫遊します。1960年、ソ連科学アカデミーでは糞尿の食料化について講演し、壇上で自らの尿をろ過した水を飲んで聴衆から万雷の拍手を受けました。1964年にはアメリカのNASA/宇宙開発事業局で宇宙船での糞尿食料化に関する研究依頼を受け、糞尿の食料化という自説を証明するため、クロレラの粉一袋を持ってアリゾナ砂漠へ行き、排泄物を元にした食物連鎖による自給自足実験を3ヶ月続行したこともありました。

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こうして長年の糞尿食料化の研究を完成させた中村は、「人類は糞尿がある限り飢えない」と断言します。

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こちらの動画で中村浩博士のストーリーをご覧いただけます。

1985年、中村浩は70歳でこの世を去りました。頭がおかしいのではとさえ言われ続けた中村でしたが、夢の実現に向けてひたむきに走り続けた姿には感動させられます。いつの時代にも、ドン・キホーテは必要なのかもしれません。

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