ただのメキシコの歴史の1ページだと思った。しかし写っていた意外な人物に、二度見せずにはいられない。

皆さんはパンチョ・ビリャをご存知でしょうか。

メキシコに民主化の始まりを告げることとなった1910年のメキシコ革命で、重要な役割を果たした革命家です。「北メキシコのケンタウロス」と呼ばれるほど馬を操るのが巧みで、メキシコ男の理想とされる「本物の男(ムイ・オンブレ)」と言われ続けました。タフで女好き、情にもろいが敵には容赦ない。そんな、まさに豪傑と呼ぶに相応しい人物で、指導者として、メキシコの北部師団を牽引しました。

これが、その豪傑が勇ましく戦いに赴く写真です。

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よく見ると、メキシコで最も偉大な革命家パンチョ・ビリャの背後に写る、男性の姿に気づくでしょう。

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その男こそ、メキシコの歴史の1ページにしっかりとその名が刻まれた日本人、「人を斬らないサムライ」の姿です。

 彼の名は、野中金吾と言いました。

彼のあまりにも波乱万丈なその人生をご紹介します。

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福岡出身の野中氏が叔父と共にメキシコの地に足を踏み入れたのは1906年、16歳のときでした。アメリカ入国を目指しメキシコ北部へ移動しますが、結局アメリカ入国の目的は果たせず、そのままメキシコに定住することになります。

 

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野中氏は、種子と飼料の店を開いて生計を立てていましたが、革命により経済状況が悪化し、仕事を失ってしまいます。その後、消防士など数々の職を転々としたのち、運よく地元の市民病院に採用され、ここで様々なことを学ぶようになります。

革命の影響で負傷者が多かったこともあり、病院に担ぎ込まれる人は後を絶ちませんでした。そんな現場の最前線にいたこともあり、野中氏は手術補助や医療処置の技術をものすごいスピードで体得していきました。

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1911年3月、偶然にも戦闘の現場に居合わせた野中氏は、手榴弾によって負傷したある人物の処置を施しました。その人物は、フランシスコ・マデロ。のちにメキシコの大統領となる革命家です。

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これが縁となりマデロ軍に入隊することになった野中氏は、シウダー・フアレス市の奪還に関わります。その後、市民病院の看護師部長として、多くの時間を負傷兵の献身的な治療に費やしました。

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そんな野中氏に目をつけたのが、「本物の男(ムイ・オンブレ)」パンチョ・ビリャでした。

病院内での事情に精通していた野中氏に、パンチョ・ビリャは優れた医師や看護師を引き連れてくるように頼むのです。ビリャ将軍とチワワ州で合流した野中氏は、「移動巡回医療班」として、そしてビリャ将軍が率いる「護憲軍北部師団」の一等大尉として、メキシコ革命における、重要な戦いの数々に参加することになります。

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首都に向けて快進撃を続けるさなか、1914年4月、鉄道の要衝トレオンを奪還した時に撮影された冒頭の写真は、今では伝説の語り草となっています。右側の、負傷者を運ぶ救急馬車に乗った野中氏は、写真が撮影された瞬間もきっと、負傷者のことを気にかけていたに違いありません。

革命が終わりを告げ、静けさを取り戻した後も、野中氏はメキシコで看護師として働き続けます。その後、そこで妻をめとり、メキシコを永住の地として選んだのです。野中氏の好奇心はとどまるところを知らず、今度は兼ねてから興味のあった写真の探求に挑みます。野中氏はカメラのファインダーを通して、揺れ動くメキシコの多様な社会の一面を切り取り続けました。最終的に、ティファナに2つの写真スタジオを構えるまでになります。これは、野中氏がその手で撮影した、1924年のティファナです。

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そしてついにその活躍は、公に認められることになります。1967年、メキシコの空港の名前にもなっているグスタボ・ディアス・オルダス政権は、野中氏の功績を讃え、メキシコ革命における功労賞を授与しました。

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野中氏は1977年、メキシコシティで、その波乱万丈な人生に幕を下ろしたと言われています。

88歳でした。

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野中氏の名前はメキシコの人々に記憶され、その活躍に関する本が出版されるなど、歴史を築く重要な役割を担ったとして今もなお尊敬の眼差しが送られています。この話が広まった背景には、父親の活躍を知ってほしいと願う息子・野中ヘナロ氏の尽力もあったと言われています。

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弱きに手を差し伸べるという価値観は、私たち日本人が最も尊んでいる精神です。人を斬ることはありませんでしたが、負傷し助けが必要な人の治療を続けた野中氏こそ、国境を越え、時代を生きた真のサムライだったのではないでしょうか。

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