稀な奇形を抱えて生まれ、サイドショー芸人として人気を博した4本脚の女

社会福祉が発達していなかった時代、身体障害者は避けられ、迫害を受けることさえありました。 19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカやヨーロッパでは、人とは違う容姿を持った障害者の中には、サイドショー(見世物小屋)やサーカスの芸人として生計を立てていた人々がいました。それが職を得られる数少ない機会であり、生活手段でもあったのです。

1868年にテネシー州リンカーン・カウンティーで生まれたジョセフィーン・マートル・コービンもまた、稀な奇形を抱え、サイドショー芸人として当時のアメリカで人気を博した女性でした。

マートルは、母ナンシー・コービンと父ウィリアム・コービンの7人目の子供として生を受けました。両親は、分娩直後のマートルを診察した医師らによってお互いの外見が酷似していると特徴づけられ、 血縁関係があることを疑われます。それは、健康で丈夫に生まれた小児が2本余分に脚を持っていたためでした。

マートルが抱えていたのは寄生性二殿体(dipygus)と呼ばれる珍しい先天性の症状で、本来双子として誕生すべきところが分離せずに生まれたことが考えられました。マートルの場合は2つの骨盤と4本の脚を持って生まれ、つまり、下半身だけの妹が腰に寄生していたのです。内側の未成熟の2本の脚は、正常に成長した外側の2本に比べて小さく、内側の脚のみでの歩行はできなかったといわれています。

マートルが見世物芸人としての道を歩むことなった経緯は不明ですが、13歳の頃には「4本脚の少女」("Four-Legged Girl ")という名でサイドショー芸人としてアメリカ各地を巡業し世間の注目を集め、その人気は休演の際に偽の代役が立てられるほどでした。

若いパフォーマーは、魅力的な顔立ちで気だてが優しく、非常に知的で前向きな性格であったと言われています。

当時のサイドショー芸人たちの多くは、かなりの収入を得ていたと考えられています。マートルも10代後半には、週に450ドル以上を稼ぎ出す売れっ子芸人にのし上がっていました。

サイドショー芸人としての生活を初めて7年後、19歳のマートルは医者のジェームズ・クリントン・ビックネルと結婚します。当初は金目当てと疑われた結婚でしたが、マートルは子供の誕生とともにショービジネスから引退し4女1男を生んでいることから、夫婦の間に愛情があったことは確かであると考えられています。

マートルの体に関する驚きの事実が明らかになるのは、彼女が初めて妊娠をした頃でした。なんとマートルが外性器を2つ、さらに子宮も2つ持っていることが判明したのです。骨盤と脚だけと思われていた妹の下半身は、女性の体の機能を全て有しており、医師による診察ではいずれからも月経が確認されたそうです。

マートルは41歳で家計を支えるために一年ほど芸人に復帰した後、ショービジネスから完全に引退しています。その後は家族と共に短くも静かで幸せな老後を送り、感染症が元で1928年に60歳でその生涯を閉じました。葬儀では、静かに眠ってもらいたいという遺族の願いから、遺体が掘り起こされることがないよう棺桶の上からセメントが流し込まれたそうです。

マートル・コービンはハンデを抱えながらも、弱みを強みに変えて生き抜くことができた力強い女性だったのでしょう。

コメント

おすすめの記事