アメリカ代表のパラリンピック・メダリスト、20年ぶりにロシアの実母と再会

2012年に開催されたパラリンピック・ロンドン大会で、金メダル5個、銀メダル2個を獲得したアメリカ代表のジェシカ・ロング選手を覚えているでしょうか。 2004年のアテネ大会、2008年の北京大会、ロンドン大会、そしてリオ大会で計13個の金メダルを獲得し、競泳種目で数々の記録を保持する彼女は、パラリンピック競泳界史上、最も輝かしい成績を持つ選手として知られています。

現在はアメリカ国籍を持つロング選手ですが、1992年、ロシアのシベリア地方のブラトスク近郊の小さな村で生を受けました。うまれたときの名前はタティアニア。しかし、実の両親はうまれて間もない娘を手放すことをすぐに決断します。

Youtube/Первый канал

タティアニアは重度の下肢障害を持って生まれました。両脚の下半分の骨が欠落しており、両親は娘が一生歩くことはできなと医師に告げられました。重度の障害を抱える娘を育てていく自信がなかった両親は、うまれて間もない娘を孤児院に預けたのです。

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タティアニアは人生の始めの数年間をシベリアの養育環境があまり良いとはいえない孤児院で過しました。孤児院の資金繰りは厳しく、人員の数やオムツさえ足りていない状況の中、子供たちは最低限のケアしか受けることができていませんでした。

タティアニアは一歳を迎えた頃、アメリカ夫婦に引き取られました。養子児童の国際データバンクで、タティアニアのプロファイルを発見んしたベスとスティーブンのロング夫妻は、幼い少女に一目惚れしたそうです。

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養子縁組みの手続きを進める中で、ベスとスティーブンはタティアニアには生存が確認されている親族はいないことを伝えられていました。

タティアニアは間もなく夫婦の養子としてアメリカに渡り、温かい家、愛情あふれる家族、そしてジェシカという新しい名前をもらいました。ジェシカは、18か月で両脚の切除手術を受け、人口装具をつけての歩行を学びます。また、身体を動かすことが好きだったジェシカは、幼い頃から体操やアイススケート、トランポリン、ロッククライミングなど、さまざまなスポーツに挑戦していきます。中でも特に得意なスポーツが水泳でした。

2004年のアテネ大会にアメリカ合衆国代表として出場し、3つの金メダル獲得と1つの世界記録更新を達成したジェシカは、若干12歳にして世界のトップアスリートの仲間入りを果たします。続くアテネ大会、ロンドン大会でも金メダルに輝いたジェシカは、世界中の注目を集める中、ロシアにいる生みの母親を探していることをインタビューで明かしました。

ジェシカは自分が養子であることは幼い頃から知っていました。また、実の両親はすでに亡くなっていると長い間信じていました。しかしあるとき、その死因を知りたいと考えロシア政府に問い合わせたところ、実は両親が亡くなっておらず、ブラトスク近くに今でも暮らしていることを突き止めていたのです。

ジェシカ・ロングとして充実した幸せな生活と成功を手にしていた彼女は、実の両親に出会って生んでくれたことを感謝したいと考えたのです。

 

あるロシアのジャーナリストから、ジェシカが彼女の娘であり、自分を探していることを聞かされた実母は、その知らせに気を失いそうになったといいます。赤ん坊の娘を手放してしまったことに対する罪悪感に悩まされ続けてきた実母は、その娘が自分と会いたいと望んでいることを知って混乱しながらも感激し、涙を流したそうです。

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2013年、ジェシカは19年ぶりに自分が生まれた街を訪れ、空港で待ち受けていた実母と20年ぶりの再会を果しました。取材陣に囲まれての再会の場で実母はジェシカに「私の子、こめんなさい」と伝えています。ジェシカはこのロシア語が理解できなかったもの、その夜facebookを通して実母に「あなたをとても愛しています」というメッセージを送っています。実母にとってそれは、愛情溢れる思いもよなぬメッセージだったとのことです。

こちらは、ジェシカと実母との再会ストーリーを紹介したテレビ番組の映像です。(ロシア語音声のみ)

この話しはロシア国内で大きな話題を呼び、多くの人がジェシカの寛容さと強さ、実母に対する深い愛情に心打たれました。実母とジェシカの関係は今も続いているそうです。生みの親に捨てられながらもジェシカは発見され、両親の愛に育まれ、実に寛容で思いやり深い女性へ成長を遂げたジェシカは、これからも新たな歴史を作り、世界中の人たちを魅了し続けていくことでしょう。

出典

kp.ru

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