【期待に胸を膨らませ】アメリカ留学に来た日本人高校生。彼を待ち受けていた運命はあまりに残酷だった。

1992年、当時愛知県立旭丘高校に通っていた16歳の服部剛丈(よしひろ)君は、自宅で英語教室を開いていた母の美恵子さんの影響で、アメリカに憧れを持つようになっていました。 小学校5年生の時にはミネソタ州から学生をホームステイに迎え入れるなど、海外の文化に触れる機会が多い家庭で育った剛丈君は高校2年生になった夏、国際教育交流団体AFSを通じてアメリカ合衆国ルイジアナ州・バトンルージュへの留学を決意します。

YouTube/2011mahat

留学の日が近づくにつれ、英語の勉強により熱心に取り組むようになった剛丈君。そして1992年8月、2年間に渡るアメリカ留学が始まりました。ホームステイ先は、大学教授の父リチャードさん、医師の母ホリーさんとその息子で同年代の高校生のウェブ君が暮らす3人家族のヘイメーカー家。剛丈君は優しいホストファミリーに恵まれ、留学生活を満喫していました。

YouTube/2011mahat

剛丈君は家族に宛てた手紙や日記に、初めてみるアメリカの雄大な自然に触れた時の感動、友人が大勢できたことの喜びなどを綴っています。中でも母・美恵子さんの印象に残る一文があります。それは「どこの国へ行くにしても、その国を『第二の故郷』と堂々と呼べるようになれば素晴らしい」という言葉。剛丈君は留学前に書いたこの文章に「留学先がどこであろうと、そこで有意義な時間を過ごしたい」という願いを込めていました。

YouTube/2011mahat

そして留学開始から2ヶ月半が経過した1992年10月17日、アメリカでの生活にも慣れてきた剛丈君はホストブラザーと共に日本人留学生を招いて開かれる早めのハロウィンパーティへと出かけます。剛丈君は映画「サタデー・ナイト・フィーバー」で主役を演じたジョン・トラボルタの衣装を真似た仮装をしていました。

そしてパーティー会場へ向かった2人はハロウィンの飾り付けをしたそれらしき家にたどり着きます。しかしベルを押しても誰も出ないため、裏に回った2人はそこでその家の住人のロドニー・ピアーズに出くわします。彼の手にはレーザースコープ付き44口径マグナムが握られていました。そう、2人はパーティ会場と間違えてピアーズ家のベルを押してしまったのです。

そしてピアーズは剛丈君に向けてマグナムを発砲します。剛丈君が撃たれ、その場に倒れたのを目撃したウェブ君は隣家に助けを求めに行きました。住人の通報で救急車が呼ばれましたが、剛丈君は出血多量により搬送中の車内で帰らぬ人となります。

銃規制が厳格な日本に生活する私たちからは想像もできませんが、ピアーズはその後刑事裁判で正当防衛を認められ無罪となります。しかしその後の民事訴訟では、ピアーズは家を頻繁に訪問する妻のボニーの元夫に対し「今度きたら撃つ」と脅迫していたこと、発砲時の剛丈君とピアーズの距離についての矛盾が指摘され、殺意を持って射殺したことが認められたのです。罰金65万3千ドル(日本円でおよそ7000万円)の支払いが命じられました。

YouTube/2011mahat

剛丈君の両親は事件後、「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める誓願書」に署名を求める活動を始め、1年間で日本で170万人、アメリカで25万人もの署名を集め、1993年11月にワシントンで当時のアメリカ大統領ビル・クリントンに面会し、署名の一部を手渡しました。そして服部夫妻がアメリカに滞在中の同月末に議会で、拳銃などの販売に5日間の猶予期間を設けること、販売店に購入希望者の犯罪歴を警察へ照会することなどを義務付けた銃規制法「ブレイディ法」が制定されます(ブッシュ共和党政権に移行したため延長されず、現在失効しています)。

YouTube/2011mahat

服部夫妻は現在「息子を射殺したアメリカを恨む中からは何も生まれない、むしろ銃のない日本の社会をアメリカの若者に見て欲しい」との想いから、剛丈君の傷害保険を原資とした「Yoshi基金」を設立、毎年1、2名のアメリカ人高校生がこの奨学金を受給し、留学生として来日しています。

息子を失ってもアメリカを憎まず、息子を奪った銃撲滅に人生を捧げる服部夫妻の姿に胸が熱くなります。2018年に入ってから、アメリカではすでに18件もの銃乱射事件が学校もしくはその周辺で起きています。銃規制にはアメリカ国内でも賛否両論ありますが、銃によって奪われる命が無くなる日いつか来ることを願わずにはいられません。

下の動画で剛丈君の事件をモチーフに作曲された合唱曲「世界中のYOSHI君のお母さんへ」を聞くことができます。(※一部ショッキングな画像が含まれておりますので、視聴の際にはご注意ください)

コメント

おすすめの記事